底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

有望な20代を採用しよう。若手採用ならキャリトレ!

日本は先進国と呼ばれる中では、採用時に未だに年齢差別が公式に横行している人間性を無視する事が当たり前の社会なのだが、それでもさすがに諸外国に対して劣っている国と思われたくない一心に(?)、男女平等(性差別撤回)、採用時の年齢制限の撤廃をうたった。しかし、男女平等とはいいながら、ヤクルトレディーや、カルディコーヒーファームのように女性だけの採用が許されたり、ベンチャー企業で写真が数名しかいないにも関わらず、「長期育成の為」という理由で30歳まで、のような採用が許されてきた。長期育成するほど会社が存続する事の方が難しい、もしくは長期に転職しないでその会社に居続ける人間である事の方が難しいのに。このようにはっきり性差別、年齢差別をうたうならまだいいのかもしれない。当たり前のように年齢だけで切る事が当たり前。そもそも職務経歴書だけでいいのに、履歴書まで提出しなければならないのがそもそも年齢で切る事が前提なのだ。

(ちなみに、ヘッドハンティング等の場合、職務経歴書だけでOKで、採用が決まった時に本人確認等で履歴書的なモノを提出するだけ)

 

そんな中、表題の通り、なんと企業の採用時の年齢差別を逆手にとって、採用サイトを作った会社のCMが流れ始めた。これが広告倫理を通ったのが信じられない。これだけ人手不足(しかし中年以上あまり)とも言われるなか、20代、とはっきり年齢までいっている。採用の世界では今まで30代前半まではまだ若手と言われていたのにも関わらず、だ。

 

問題は企業側、採用サイトの開き直りだ。我々産業界は年齢差別してますよ、と、公に認める事になったのだ。これは社会に大きなインパクトをもたらす事になる。このCMは大量に流れている。社会に問題意識を持って日々生きている人で無い限り、通常脳内に記憶として

有望な20代採用、若手採用

という言葉が刷り込まれる。これは意識的にも無意識でも、

有望な若手=20代

という同義にもなる。つまり、今までチャンスがまだある、と思っていた30代の潜在意識にも「もう、若く無いし、需要ないからおしまいだ」と思ってしまいがちになってしまうのだ。誰にも言われたわけでなくても、意識に刷り込まれていく。この怖さはその昔、誰が正しいと言ったわけでも無いのに、女性が30歳前までに結婚しないと終わり、と信じていてたのと同じだ。多様性無視するようなテレビ(特に日テレ)系などが頻繁に30歳過ぎの独身女性をバカにした事でも刷り込みは始まるのだ。

 

日本は労働においては既に4分の1は外国人でまかなっており、外国人労働者抜きでは社会が回らない。そんな中、同じ日本人を年齢で差別して切り捨てる。

雇う側はほぼ株式会社だろう。会社は利潤の追求、株主への還元が主な仕事であるのは確かであるが、それも商売できる社会があってこそ。雇う側は確かに立場が強いから選ぶ立場ではある。しかし、人手不足の中、日本人を豊かにしろ、とは言わないまでも、日本人を年齢差別して貧困層を増やす事に未来があるのだろうか。今は毎月定給を貰える人達だって初めてがあったはず。それは年齢等のタイミングもあっただろうが、「新人」という点で、年齢はほぼ関係ない。物覚え悪い人、ITに弱い人等は正直年齢関係無い。

 

こんなCMが許される日本。最近の様々な事件を見ていても、日本人は日本人を追い込んで人口減や犯罪者にさせているとしか思えない。

 

ま、私も現在絶賛年齢差別受け中なんですけどね。

マンガの実写ドラマ化、『幸色のワンルーム』テレ朝が放送中止 「誘拐肯定では」指摘受け

男性が女性を誘拐、拉致した上に精神的支配下に置く、というのは昭和の映画でも定石であり、アダルト作品でも多い。そして、それが未成年であれば更にやりやすい。本人の意思(家庭での虐待等で)があっても、自分の身の振り方の判断、責任が取れないから未成年なのだから、そうした子は保護するのが当たり前であり、それは知識の無い一般人ができるものではない。今や多少犯罪心理学系ニュースを見ていれば、悲惨な状態から救いだしてくれた人=救世主=好感を抱く、という心の流れぐらい知っているだろう。あとは懐柔して情報をシャットアウトすれば、自分だけを慕ってくれる人間が出来上がる。情報を遮断しないと性的対象にされている客観的事実に気づいて恋心が覚めるという事もあるのだが。それには数年かかる事もある。いや、性的対象ではなく純粋に保護したかった、と主張する犯罪者もいるのだが、それにしては監禁される女性は一般的に外見が整っている、いわゆるかわいい方に入る子が多いのがおかしい。差別発言になって気が引けるが、こういう事件で実際にいじめられているだろう、デブでブサイクな女の子ってほぼいない。この時点で少女を性的な目で囲いたい、という欲望が完全にない、とは言えない。

 

精神的に落ちている人間を引き入れるのは比較的に簡単とされている。女性を口説く時には前の彼氏と別れた直後、とか。不倫で悩んでいる女性も落としやすい、とか。私も失職してから宗教の勧誘が激しくなったり、とか。強度のストレス状態は精神的に不安定になり(自立神経失調状態)、自ら安定を作ることができなくなり、外部に救いを求めるからだ。思春期はそもそも精神的に不安定。男女とも今までとは違う異性への感情(性欲、といってもいい)が芽生える。その時に引き込む事はやはり比較的簡単だ。そこにさらに問題(家庭環境、部活、いじめ、成績等)があったら更に簡単だ。だからこそ、毎年200名以上の教師が未成年へのわいせつ行為で処罰されるのだ。何度もこのブログでも言っているが、そうした異常な状態をなぜかマスメディアは肯定的に描く映画、ドラマを作りたがる。

そして、今回はついに、最近頻繁に事にもなっている拉致監禁にも手を出した。連日、SNSで知り合った家出少女を自宅に泊める、連れ回す、というニュースがあるにもかかわらず。未成年保護の為に出来た法律を理解していない大人が大多数いるのでは、と推察してしまう。何も強制していない。未成年側が勝手にやってきたのだから問題ないのでは?SEXしなければOKなのでは?と。これは社会に無責任な日本人らしい発想で、例えば今年の4月から都の条例で子供のいる前では喫煙は禁止となったのだが、保育園児が遊んでいる公園でタバコを吸う人は全然減らない。屋外の敷地内で吸う人も減らない。他人、といってもわからないバカばかりだから、せめて子供、という言い方にしてもわからない。それが大多数の日本人なのだ。

だからマスメディアがこんなマンガを公共の電波で不特定多数に流そう、という事を企画し、誰も反対せずにずるずる進んでしまったのだ。

 

未成年を大人が食い物にする。自分の欲望の為には他人の人生を曲げても構わない。そうした人があまりも多いのは、自分の鈍感さ(の一部分)が他人も同じだと勝手に思っている身勝手な人間が多すぎるからだ。

未成年へのわいせつ行為→期間限定でやめるから問題ないよね

PTSDへの無理解)

パワハラ→自分もそうやって育てられた

(都合良く自分と他人の同化)

教師のわいせつ→生徒が勝手に慕ってきたからいいよね?数回だし

PTSDへの無理解)

他人にタバコを吸わせる→ちょっと吸わせても体調に問題ないよね

(他人を不快にさせる側である事を認識していない)

 

ありとあらゆる事にあてはまりすぎて支離滅裂になったが、自分の欲望の為に他人の人間性をないがしろにする社会。ここからいったいどうしたら脱却できるのか。

その方法がまったくわからない。民衆を先導すべきマスメディアでさえこの体たらくなのだから。

 

創価学会への勧誘が更に激しくなった件

 前からもちょくちょくあったんだけどね。今無職の状況が続いているよ~、と伝えたら、勧誘、激しくなるよね。聞かれたら嘘つく必要もないからさ。

そう、私は人間を無視するとか、そういうのは一番卑怯なやリ方、って思っている人なの。マザー・テレサがいう、「愛の反対は無関心」っていうのを、結構信じちゃっている妖精的な部分があるわけ。だからラインをブロックなんかしない。ちゃんとがぶり4つで付き合う。でもそれも限界くるよね。なぜなら話の平行線になるから。

私、議論は大好きなの。違う意見の人とやり取りして。新しい考えを取り入れる。肉体が筋トレ等、トレーニングよって鍛える事ができるのと同じ。精神もトレーニングして鍛え続けないといけない。そのやり方は常に刷新して行く力、自分で考える力だと思うし、それが人間の力の根源だと思っている、ちょっとライトノベルの精神世界的発想なわけ。もちろん、これはこの長い辛い人生でたどり着いた事。だから、全員が同じ教義でつながっている宗教という団体はそれによる安心感、そしてその安心感から生じる幸福感。そうした事を否定する気はサラサラないのだけど、私からすれば精神トレーニングの停止であって、私の生き方と相反するわけ。

後、同じく、生物の反映には多様性が必要とも思っている。それは肉体や種だけでなく精神にも多様性が無いと、成長も反映も無い、と思っている、ちょっと神目線な主義でもある。だから色々な考えの人がいるのが当たり前で、それを皆尊重し合う事が大事、と思っているの。

だから、絶対に宗教はやらないのさ。この事は面と向かって説明している。でも宗教家からすれば、「本物の宗教家にまだ合っていないからだ。」と言うわけで、更に上の幹部に会わせようとするのよ。本人は支部長なんだけどね。

もし会ったとして、私は他人を無碍に出来ない質なので、そうなると先方も「いや、別に入会しないでいいから」と連れ回す戦法になるのは必死。そしてずるずる色々な会や催しに参加させられて。最初は無料だけど、超極上の肉会とかはさすがに有料とかなって。そうなると、今度は有料の会が増えて。それつながりで仕事を何本かして。そうなると外堀が埋められる。

「途中の仕事A、B、Cを完結させるにはDが必要。でもDは学会員じゃないと出来ない。だからまだ半信半疑だと思うけど、とりあえず、学会に入会したら?だって、今までの入金考えたら正直入会しているのと変わらないよ?」

なんて言われてしまったら。もちろん、そうした事を利用して芸能界で活躍している人もいるでしょうけど。私、人間の成功とは精神の統一も含んでいるのでね。自分の信念を曲げてまで生き続ける事に疑問を覚えるので、やっぱり無理よね。だから私のような断れない人ははじめから参加しちゃいけない。

だからついにはっきり言ったよね。

「勧誘は迷惑で、私の気分を害する権利はアナタには無い」

ってね。そうしたら止まった。

 

ただね、彼は本当に良かれと思って勧誘しているんだよね。中年で無職で孤独なんて。なんて酷いんだ。アナタはそんな所で埋もれる人材ではない!って本気で救おうとしてくれている。ただね、これは結局今の私が世間的に不幸な存在である、というのが前提なのよ。これがまた腹が立つのさ。確かに、このブログの作り始めの時は自分が世の中で一番不幸だ、ぐらい思っていたさ。何か吐き出さないと自殺しそうだったからブログ始めたのも事実よ。でも、その孤独と社会のヒエラルキーの底辺でじっと耐えた結果。それはそれで新たな境地に達しているわけさ。立場は何も変わっていないどころか年齢を重ねている分、年齢差別がある日本社会では更に底辺の存在だと思う。でもそれは他人が決めつけている事であって、自分が決めつける必要はないよね。もちろん、何も考えずに毎日ゲームとかしてい精神鍛錬も何もしないのであれば確かに年齢の重ねなんてなんの意味もないのかもしれないけど。私なりに修行僧のように鍛錬しているわけよ。だから、世間一般の常識で見て私を不幸と決めつけているその態度って何さ、となるわけよ。本人はもちろん私を馬鹿にしているつもりは無い、っていうけどね。自分が知っている常識の範囲を越えているんだよね、私って。そりゃそうだよ。神様じゃないんだから、他人の人生を推し量って決める事なんて出来ないんだから。

それとね、幸福ってある程度誰でも決まっているのよ。定職があって、定収入があって。家族がいて。友人がいて。幸福学だと年収700万以上は金額による幸福度は変わらないっていうしね。実際私もそれ以上もらっていた時もあるけど何も変わらなかったね。でも、不幸は違う。不幸は人それぞれ。全く違う。年収2000万円を超えていていても人生に不幸を感じる人もいる。それはつまり、他人に理解されにくい、という事。つまり、不幸とは、孤独なんだよね。

あ、これ名言。不幸とは孤独。他人に真に理解されない、という点でね。だから宗教家はそこに寄り添ってくるのよね。基本、不幸は他人には理解されない。だからこそ、そこに親身になってくれる人ってなかなかすごいわけよ。でもこれを計算として切り捨ててしまうのはかわいそう。彼らは本当によかれ、と思っているのだから。足りないとしたら、不幸で弱っている人間の思考を本人の意思とはいえ、洗脳に近い形で勧誘してしまう事に対する罪悪感を全く感じない所かしら。まあ、それが善行なのだから罪悪も何もないんだけど。

 

という事で、無事怒涛の勧誘攻撃から逃れる事が出来た、というお話でした。

岡山県女児殺害事件など、諸々の事件で今週思った事

勝田容疑者は幼女への最初の性的犯罪の時、執行猶予だった。その後も複数人の女児暴行でも4年程度の実刑だった。今回気になったのは性的犯罪は嗜好問題なので云々ではなく、諸先進国に比べて、力の無い子供への性的暴行に対する刑罰が日本では著しく軽い、という事だ。その子の人生がPTSDでどのようになるか、という事は刑罰では考慮されない。アメリカの州によっては1回でも60年以上の刑罰となる事もあるのに。

日大の会見を見ていて清々しいのは初老の人たちが自分たちの地位と権力を守るのに必死な様子がしっかり伝わるから。それもしっかり段階を踏んでいる。最初は全部守りたい→世間がうるさい→一部守りたい→世間がうるさい→給料守りたい→世間がうるさい→退職金守りたい→足らない分は天下り、ぐらいの感覚だろう。しかし、これはなんら不思議ではなく、学生という弱者を食い物にする大学全体の問題であり、少子高齢社会になるのがわかっていながら、幼稚園よりも大学に多く助成金を出してきた日本の問題でもある。為政者は子供よりも自分たちの権力維持と家族の生活の方が大事なのだ。

 

両者に共通しているのは、昔から日本社会は弱者の人生を考えない社会、という事だ。森友問題でも国民の財産でもある公文書偽造があっても、有罪に出来なくても起訴する事で釘を刺すぐらいはできるのに警察はしない。つまり、警察も権力を守る側であり、三権分立の意味が無い社会である事が明白。しかし、日本は民主主義でそのようは社会は選挙で変えられるはずなのに、なぜだろう?

 

私がアルバイトさえも落ち続けていた時(今もだが)、紹介されたコナミスポーツのアルバイトも面接で落とされた。紹介したバイトの女性は私を批判し続けた。同じ時給でも中年なら期待される返答がある、と。雇ってください、という姿勢が足りない、反省しろ、と。私は疑問だった。社会経験も無い、接客経験も無い初心者の大学生と全く同じ時給なのだから、面接も私は同じレベルでしかしない。しかし、接客経験、肉体の知識、シフトの自由さ。それを見れば私の方がスペックが上なのは馬鹿でもわかる。そこに、姿勢とか関係無い。なぜなら、アルバイトだからだ。社員はその会社の一員になること。だから「仲間に入れさせてください」という姿勢もわからなくもない。その分手当もあるし、日本では身分保証(簡単にクビにできない)もある。しかし、アルバイトは別だ。人生の時間を切り売りして作業をやるプロだ。そこには人間性など関係なく、決められた作業を時間で行う。なので時給であり、なんの保証も無い。ホームレスが早朝集まる日雇い労働となんら変わらないのだ。

 

私はこのように、社会での働きの時に人間をヒエラルキー、立場で見る事が多い。なぜなら、人の社会、組織の問題の時は、人間そのものの個人の問題ではなく、社会構造問題である事が多いからだ。人間なんてそんなに善悪の人間性に大差はなく、なぜそうあるべきだったのか、というのはヒエラルキーによって作られる事が多いからだ。なのに、だ。日本はずっと弱者を叩く社会だ。その謎が自分にふりかかったアルバイト問題で明らかになった。

それは、弱者側が自らを客観視して物事をヒエラルキーとして枠組みで捉える(マクロ視点)事をせず、自らの判断力になぜか自信をもって感情で判断する、ミクロ視点になってしまっているからだ。

例えば、LGBTの問題があった時、海外でデモがあった時、「こういう社会になったらいいなぁ」と願う人はLGBTで無くても参加した。発言権があるセレブも、だ。しかし、日本ではそうした人たちは少ない。社会という構造で問題を見るのではなく、「自分は」というミクロ視点だからだ。

岡山県女児殺害事件などはその連続性を止める事が出来なった今の司法を考えたら、全国で暴動が起きてもおかしくない。なぜそうならないか。誰もこの問題を司法の問題と考えず、自分たちは関係ない、だから「可愛そう」「犯人は厳罰だ!」で終わってしまう。

日大問題などはそうした日本社会の象徴だ。森友問題などは権力者にいいようにやられている国民の怒りとして政権交代まで動いてもいいレベルだ。しかし、そうした構造の問題としては捉えられず、庶民は自分たちのミクロ視点だけで物事を考えてしまう。

もちろん、ミクロ視点が全て悪い、というわけではない。ただ、それはせいぜい高校生、大学生ぐらいまでだろう。そこから社会に出て視点が本来マクロ視点も手に入れる。いや、手に入れる努力をし続けなければならない。だからこそ、社会の人、「社会人」となるのだ。

しかし、日本人は社会人にならない。視点が大学生の時のミクロ視点で止まり、社会に出る事=金を稼ぐ人になる、という意味である事が大きい。だから拝金主義の人が多く、金を稼ぐ人、大金持ちのビジネスマンに憧れ、精神的なリーダーとして人気のある人は生まれない。

 

まあ、むずかしいか。

山口達也氏のワイセツ事件についての小高千枝という人のコメント

ガリバー事務所のジャニーズの中でもレギュラーの多い山口達也氏が犯した未成年へのワイセツ事件。朝一の情報番組をザッピングしてコメンテーターという人種がどういった事を言うのかチェックしてみた。大前提として「Rの法則」に出演している高校生は売れかけに近い芸能人であり、地下アイドルよりもしっかりした事務所に所属している子達が多い。そんな子が被害届を出す、というのは今後の芸能活動が絶望的になる、という事だ。自分の夢を捨てる程の怖くて屈辱的な思いをこの子はした、という事は想像に難くない。場合によってはPTSDに苦しむかもしれない。

 

という事が芸能界素人でもわかる中、Rの法則に出演をしたこともある、心理カウンセラーの小高千枝という人がモーニングCROSS内で

「私も番組に出演した事あるのですが、私は性被害女性のサポート活動もしているのですが、(中略)、なんか、距離感を間違えてしまった、という気がします」

 

距離感?未成年の子が自分の未来を捨ててまで訴えた事を単なる、距離感?そんな問題?共演の高校生に酒を飲ませようとして、酔ってキスをする行為が単なる距離感の間違い?

 

もちろん、番組内では別のコメンテーターが即座に否定して許される行為ではない、と言っていたのだが。性被害女性のサポート活動をしていれば、ワイセツ事件はパワハラとセットであることも多く、私でもそれが距離感の問題でない事ぐらいは知っている。過去にマスメディアを騒がせてワイセツ事件で、コーチと未成年の生徒で同じような事があった。その時もどちらかの方が「とても仲が良く信頼された先生だった。距離感を間違えたのでは」という人がいた。被害生徒の恐怖を考えずに。そんな事、心理カウンセラーであれば絶対にわかるはずだ。

 

さて、ここで視点を変えてみたい。心理カウンセラーとは民間資格臨床心理士のよな国家資格ではない。ある意味、名刺を作って「私、心理カウンセラーです」と言ってもいい肩書だ。つまり、社会的には本来信用にならない。そんな人が渋谷一等地にルームを構え、なおかつテレビ出演までこぎつける。そんな事は本来出来るものではない。

では、どういった力が必要なのか。それは心理カウンセラーという曲がりなりにも人の心に寄り添う仕事なのに、それを曲げてまで上記のような権力者側に寄り添った発言が出来るぐらいの、信念の無さという信念がある能力だと思う。実はこの能力は企業人、サラリーマンとして有名な人も結構持っている能力だ。

本来、サラリーマンでマネジメントレイヤーまでいくと、本来会社の利潤のために働く事が最優先のはずだ。しかし、この能力がある人達は売上もあげず、利益もあげず。しかし、上には好かれて絶妙に出世する。もちろん、誰かがその尻拭いをするのだが、尻拭い人は決して報われる事はない。

 

そういう視点で見てみると、この件に対してどういう発言するか、でその人が生きている社会でのヒエラルキーがわかる。

 

・どんな事があっても許される事ではない、という人達

番組MC、雑誌や本の出版、弁護士等主軸がテレビではない人達など。

山口達也氏は普段とても男気があって、優しくて。信じられないという感想

コメンテーター、芸能リポーターなどテレビぶら下がり族など。

・酒に酔っていたんだから、まだ真相は、という擁護する人達

テレビでの仕事が少ない俳優、タレント、仕事を増やしたい文化人等

 

仕事とは大変なものだ。

ま、私はそういった営業が出来ないので今こんな立場なのだが。

 

 

mixiニュースのコメントの絶対的傾向

mixiという、昔のSNSで今やゲームプラットフォームになっているサイトにニュースフィードがあり、そこには旧Yahooニュースのように全部コメントが書けるようになっている。で、そのコメントに「いいね」を押す事が出来、それが多いとリストで上位になるのだが、以下の3つの意見が上位にくる(つまり、いいねが多い)事が多い。

 

1:女子高生と成人男性のワイセツ系事件

未成年側を責める

2:セクハラ系

される側を責める

3:自民党の不祥事による国会ニュース

野党を責める

 

この3つは不変的だ。私が気になるのはこのような意見を言う人が私が普段接する人間にはいない事だ。mixi内だけで生息しているのか?日本はほぼ教養に差はないハズなのに、なぜこのような極端な人間がいて、そしてどこに生息しているのか?

 

幸い(?)私がリアルで知り合った人のツイッターの発言でも上のような発言をする人がいる。1人は社員5名以下の工場勤務の人、1人は独立保険外交員。どちらも生きている社会が狭い人達だ。これだけのサンプルで、だからmixiには世界が狭い人達ばかり、と言えない気もするが、実際、あのサイトにはトラック運転手やホステス、看護師等、やはり世界が限定されている人達が多いというデータもある。

そうなると、世界が狭い人達(一定のヒエラルキー内での生活)というのは見識を狭めてしまう、という仮説ができる。いや、しかし、この情報化時代。あらゆる情報をナッシュ均衡やパレート効率性など知らなくても大人になれば自然と身についているはずだ。でなければ結婚して子供など育てる事は出来ないだろう。

そうなると、思考力は普通なのに、ある特定の事に関すると思考停止をして共感能力が著しく低下する、という現象がおきる、そしてそれはある一定の層の人達に起きる、という事が考えられる。そしてそれは特定の事案にのみ、発生するとも考えられる。

根底は男尊女卑、年功序列であることはわかるのだが、それらは本来50代以上の人達のもの。SNSの中心帯である40代ではもうそこまで濃い思想ではないはずなのだが。現に、パワハラが当たり前だった50代以上の人達から酷い扱いを受けてきたから、パワハラ関連ニュースの時は俄然加害者を叩く。これは自分たちが迫害をされた経験がある証拠。となると、やはり共感能力の著しい低下、という事か。

そうなると、未成年を叩く事に合点がいかない。なぜなら自分たちも未成年の時期があったわけで、自分が高校生の時に海千山千の大人達とまともにやりあって勝てる、という自信がある人達などほぼいないと思われるからだ。しかし、ワイセツ事件の時はなぜか未成年側を責める。これはもしかして、実は自分たちも未成年と性交したい、という嫉妬心から?とも考える事が出来るが、そんな幼稚だろうか。

 

この問題は数年考えていて、未だにハラオチしないのだ。周辺にこういった大人がいれば議論が出来るのだが。

そして、私は多分、長年この法則に当てはまる場所を探し、こういった人達のことを心のどこかで見下してホッとしている。私よりもよっぼどマジョリティーで社会に貢献している人達であるはずなのに。逆にホッとしている部分があるから、せめてその謎(幼稚な発想)の根源を探って、咀嚼して前に進みたいと思っている。もう、この人達の考え方は変わらない、という事はわかったのだから。

 

 

日本郵政グループの非正規との待遇格差是正はまだ中途半端

ネット記事では「『同一労働同一賃金』を曲解した暴挙」と言われている今回の決定。私はむしろまだ差がある事の方が不思議だ。

正社員はその名の通り、会社の一員だ。会社の方針や営業益等にも責任がある。会社を背負う立場だ。非正規は本来その間の作業を埋める立場の人達で、正社員と同じ労働をするのは意味が無い。時短等の本人の働き方に応じた柔軟な採用であれば問題無いが、往々にして企業側がコスト削減に使うのが問題であり、労働者の人生をしっかり考えた採用をしない企業のモラルの問題が大きい。

で、今回の郵政グループの決定だが。

 

・住居手当……転居を伴い転勤がない正社員への支給を廃止。非正規社員には従来通り支給せず。

・年末年始勤務手当……年末手当を廃止。年始手当は正社員・非正規社員ともに支給。

・寒冷地手当……支給額を削減。非正規社員には従来通り支給せず。
・隔遠地手当……支給額を削減。非正規社員には従来通り支給せず。
・扶養手当……今後も継続して協議する。

 

住居手当をどう考えるか、だ。これが社員への福利厚生なのであれば継続が必要だと思うのだが、転勤が無い正社員まで支給するのは手当が厚すぎるともいえる。

年末年始勤務手当は同一労働なのであればともに支給は当たり前。

寒冷地手当は同一労働なのであれば非正規にも支給すべきだ。

遠隔地手当も同上。

扶養手当については正社員への福利厚生なのであれば非正規は無くても構わないのでは。

 

これは正社員と非正規の労働をしっかりわけていない、つまり労働層のコストカットの為に非正規を使っている企業の典型的な例であり、業務効率が著しく悪い場合が多い。そりゃそうだ。非正規で十分な仕事は非正規で。正社員は正社員でしか出来ない仕事。マネジメント層はマネジメントを。そうしたヒエラルキーがあるからこそ、会社は効率良くまわるのだ。労働層を奴隷のように考えているからその中で正社員、非正規などとどんぐりの背比べ的な差を付けたくなるバカ達が生まれてしまうのだ。本来の組織としておかしい事に気が付かない。正社員なのであればその組織も変える義務があるのに、正社員として非正規よりも得をしようとする意識しかないから使えない人材であり、ずっと労働層なのだ。

 

そんな会社だから、アルバイト募集の中に「正社員への登用もありえます」的な記載をするのだ。アルバイトは本来働き方であり、業務内容。正社員を餌にするなんて、それは非正規と同一労働だが賃金が違う、という差別主義である、労働層を下に見ている経営陣の発想ともいえる。必要であれば正社員を雇うか、もしくは普通にアルバイトからスカウトすればいいだけで、わざわざアルバイト募集の記事に「登用もありえまっせ」なんて書く必要はないはず。

 

最下層の労働層が全員バカだと思ったら大間違いだ。とはいえ、私が現在最下層である事には変わらないが・・・(泣)。