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底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

全盲女子生徒が蹴られて負傷した件で、蹴る人の気持ちと同じ経験をした

底辺日記

ども。底辺くんです。

「全盲少女にも非があったのでは」 白杖につまずき蹴った加害者に理解を示す心ない人たち : J-CASTニュース

まあ、Facebookでも大変ですよ。聞いたこともないソーシャルゲームの下請け会社の創業者とか、それ系の視野が狭いから夢を追える人種の人達が犯人をクズ呼ばわり。ネットを言う公の場で、メディアから限定された情報のみで他人を「クズ」と呼ぶその人間性にも疑問を覚えるが、まあ、そういった人の方が会社設立には向いていたりするわけで(理由はまたの機会に)。

 

ともかく、加害者はくそだ、という人。まず最初に言っておきたいのが、ネットで全盲少女側を非難する人達の言葉をそのまま鵜呑みにしてはいけない、ということ。特にツイッターは結論しか書いていないので、ただの非難にしか読みとれない。なので、私が経験した同じような体験をログるので、底辺層の考え方の理解につながれば、と思う。

 

その日、アル中の私はかなり酩酊していた。すでにかなりの酒を飲んでいたのだが、意識を失っていなかったので、更に酒を買い足しに近所のスーパーに出かけた。

そのスーパーは区画の無い自転車置場があり、夜だったこともあって自転車はまばらだった。私は飲酒運転(自転車でも違反)をするわけにもいかないので、歩いて向かったいた。そして入り口の入ろうとした時、なんと自転車に乗った婆さんが入り口に自転車を停めたのだ。そう、私の目の前で。私はその自転車に阻まれて入店することが出来なくなった。もちろん、その婆さんはこちらに一瞥もくれず、そのまま自転車を降りて入店。私は仕方なくその婆さんの自転車をグルっと避けて入店することとなった。

昔の私であればこんなことで腹を立てたりしない。こんな人達など山ほどいるから、そんな底辺層にいちいち目くじら立てる暇もなかった。だが、今は私も底辺層。怒りがこみ上げて来て止まらない。

まあ、そんな怒りもほんの20秒ほど。食品売り場へと向かい、いつものように値下げ品を探す。欲しい物を食べるのではない。値下げしているもの買うのだ。ただ、その時間は酒を優先したためにまだ値下げ品が無い。くそ、なんだよ、しけてやがる、とカラのカゴを手に売り場を回っていると、通路でスッと先ほどの婆さんが横切るが見えた。ちょうど私が向かっている売り場だったのでそのまま婆さんの後ろにつく格好に。婆さんのカゴには私が購入することも出来ない高級魚達が数パック入っており、デカくてカゴからはみ出ている魚もいた。

この時、私の中に再度言いようもない怒りがこみ上げて来た。

 

(このババア、あんなマナー違反好き勝手やっておいて誤りもせず、しかし社会から守られているだけじゃなく、金も持っていたのか。こちらは社会から守られず、金も無い。なんだこの差は!)

 

その瞬間、前を歩く婆さんの背中をおもいっきり蹴りたい衝動に駆られたのだ。ぐっと足に力が入り、自分の殺気を自分でも感じた。

 

もちろん、そんなことはしていない。私は格闘技をやっていたこともあり、通常の成人でも素手で殺せる自信があるので、暴力行動を自制出来る。ただ、私が体が弱く、喧嘩も出来ないほどの成人だとしたらどうだっただろうか。この怒りの暴力は自制されることなく、弱いモノに向かったかもしれない。

 

もちろん、この一時の怒りは蓄積された怒り、いわゆるストレスやうっぷん、というものだ。文章内にもヒントがあったと思うが

・飲酒運転になるので自転車に乗らない→忠実に法律を守る姿勢

・マナー違反者に対する怒り→マナーや規範を重視する性格

こういった人間性は常日頃、法律違反者やマナー違反者に対する怒りを蓄積している。また。

・自分が社会の底辺層であると認識していて、老人達の功罪を憎んでいる

これは「上から君」が存在することからの知識とも結びついているのだが、そうでなくとも、ロストエイジと呼ばれる世代の不運さは日本社会で郡を抜いていると思っているわけで。

 

駅員に暴力を振るったりする人たちも同じ。自分よりも弱い(反撃出来ない)と思っているからするのだ。そしてこの全盲少女に暴行を働いた人は確実に反撃されない相手を選ぶほど、自分が弱いことを認識しているのだ。

 

弱いモノが更に弱いモノを叩く。

 

なぜそんな社会になっているのか。叩く弱いモノを「クズ」と呼ぶだけだは何も解決しない。社会人なのであれば、自分達はそういった社会を作っている一員として、果たして何も非がないか。弱いモノをさらに追い込むようなことをしていないだろうか。少なくとも、前回の選挙で自民党に票を入れた人、選挙に行かなかった人はこういった社会を作っているメンバーであることを認識すべきだ。

完璧な人間などいない。