底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

底辺の私がなぜ底辺から抜け出せないのか

ども、底辺くんです。

現在底辺にいる私がなぜ抜け出せないのか、ということについて、ふっと気づいたことがあるのでログっとく。

今まで思っていたのは、10年付き合った彼女突然ふられ、そのことによる自信喪失が原因だと思っていた。いわゆる、一番自分をよく知っている人に愛想つかされるなんて、相当やばい性格であり、そんな人間は何をしてもダメだ、と思っている。

それは今も思っているのだが、最近は特にひどい。せっかくダイエットに成功したのにまた再現無く食べ、アル中にもなってきた。ポイされた時点で罰は受けているわけだし、自信喪失は気持ちの問題なのに、これ以上、肉体まで滅びるような責め苦をなぜ自分自身に負わせるのだろうと。

で、この暴飲暴食の始まりの時期を考えてみた。それは同棲中の家を出てこのボロアパートに引っ越す時から始まっている。確か、引っ越す時にそれなりの新生活を考えていたはずなのに、未だに引っ越したままの汚い部屋で片付けもできていない。

この引越の時に何があったか。そう、鬱で通院していた元彼女が新しい会社で元気になって、新しい彼氏も出来たことを知らされたのだ。10年前の、付き合うきっかけになった、明るくユーモアのある彼女に戻っていたのだ。そしてFacebookでつながっているばっかりに、そんな彼女のアクティブな情報が飛び込んでくる。

付き合っている時は後半、彼女は鬱になってしまい、私はいつか昔の彼女に戻ってくれると信じていた。しかし、私は戻せなかった。そんな私と別れた途端、彼女は元気なったのだ。

今ままで会社が原因、と聞いていたし、医者もそういう判断だ、と聞いていいたのに、私も原因に一因であることは疑いようもない。

つまり、私は最愛の人を傷つけて変えてしまっていた、ということになる。あの知的でセンスのあるシニカルで魅力的な性格。私が当時付き合っていた彼女とも別れて付き合おうと思った彼女の良さを私が潰してしまっていたのだ。

Facebookで彼女との10年間の付き合いでしなかったような旅行や遊びを今彼女がしているのをみるたび、私はなぜそういったことが出来なかったのか、という悔しさと、彼女の良さを潰してしまっていた自分への苛立ちが止まらなくなるのだ。

そして、その現実から逃避するために暴飲暴食に走ってしまっているのだ。自分が大好きだった、一生側にいようと誓った彼女の笑顔を奪うような私は何も楽しんではいけないのでは?という気持ちが根底に生まれてしまっている。

そこに輪をかけて、結構ひどいふられ方もされているので、いくつものひどい事象が時が経つにつれ、集約してこの、「笑顔を奪った自分」に直結してしまっているのだ。

分散している時は、これは相手が悪い。これは自分が悪い。これはお互い様でしょ、となんとなく気持の逃げ場があったように思える。今はその逃げ場がない。

自分が最悪の悪人になってしまった、という罪悪感。それが今の私を底辺の更にそこへ向かわせようとしている。自殺なんて許さない。もっと苦しめ、と。

引きこもっていて人と合う気持も起きない。私がすべて悪くしてしまう、と思っているからだ。

毎日がものすごく辛く苦しい。