底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

カウンセラーと満足する人達

こんにちは。上からさんです。

最近ちょっとびっくりしたことがあった。

Facebookで知人がシェアしていた心理カウンセラーのブログがあったので、見てみたのだが、驚いたのはその内容。簡単に言うと。

「親のいい所、わるい所、ひっくるめて認めることが大切なんだ、的なことに気づいた」

というもの。まじか。この程度人生経験、人間性で他人の人生を左右する心理カウンセラーを名乗っているのか。もう一度Facebookに戻ってみると、いいね!が数百件に及んでいた。ためになりました、的なコメントもある。

またびっくり。まじか。おいおい、いっぱしの社会人でも親を一人の人間として見ることの出来ない人ってこんなにいるの?

さて、こういった人達はどういった人達なのだろうか。親子関係を第三者の立場で見る機会を逸してしまっているわけだから、いろいろなシュミレーションは出来るが、そんなことをするよりも、やはりこういった内容をgood!思ってしまう層は色々幸せに感じることが出来ていいね、と思う反面、ちょっと怖い部分もある。

 

世の中は言葉で溢れていて、為政者達は巧みにターゲットに対して使ってくる。ここで言う為政者とは、言葉を人をコントロール出来る人達、という意味ね。

例えば、私は若い時今でも超人気のあるバンドが好きだった。しかし、ある程度の年齢になるとあれだけ好きだった歌詞がまったく入ってこない。そりゃそうだ。彼らはものすごい金持ちなのに、そこらの若者やサラリーマンへの歌を歌う。時にはもっとマーケットを広げる歌詞もある。馬鹿にしていると思った。お前ら、こういったフレーズ好きだろ?単語好きだろ?泣けるだろ??と傲慢に、ふふん、と鼻を鳴らしながら「ウケる歌詞」を書いている姿勢が想像出来るのだ。そんな話を当時周りにしたら、意外とかなりの人が私よりも早くそのことに気づいていて、なんか恥ずかしくなったことを覚えている。

その最たる例がホリエモンの「ゼロ」という著作。信者が熱心にSNSで本人にアピールするもんだからちゃんと購入して読んだみたのだが、これがすごい。言葉のマジック。世間受けする内容、セリフをしっかり分析し、自己プレゼンができている。中にはどっかで見たことのあるような文言の表現を変えて使っている部分も多々ある。ライオンキングをカブトムシキングとして上演するようなもの。でも、これはホリエモンは何も悪くない。彼は今は個人のドメインで食べているようなモノなので、自己演出は生きていく上で当たり前。そしてあの本を購入する人はまさに想定ターゲット層と思われる人々であり、その人達はあの本で何かしらの高揚感を得られているのだから。

性格を変えたい、と思っている人がいる。その多くが今の自分が嫌だったり、現在躓いていたり、と自己否定と閉塞感で心がもがいている。そういう人達はこういった言葉を操る人に簡単にひっかかる。いや、影響を受ける。本人がそれで幸せなので、本来何も問題はないのだが、私が感じる怖さは、性格は変えられる、と信じこんでしまうことの弊害だ。うまく言っている時はいい。ただ、人生うまく行くことのほうが少ないくらいなので、まったく同じような状況であれば乗り越えられるのだろうが、また別の問題が発生した場合、また言葉を操る人に頼ってしまうような気がするのだ。

そして、一生のうち、色々な「尊敬する実在の人物」が増えていく。それは性格がいい方向に変わった、というよりも為政者が操りやすい都合のいい素直な子になった、とも言えるのではないか。

 

子供の頃、タイムマシーンで過去に戻ってやり直すとしたら?みたいな話を仲間内でした時、あの時ああしていれば、みたいな思いは誰しも一度はあるとは思うのだが、もし本当に過去のその時点の内容を変更してしまったら、今の自分のあり方、性格も大きく変更することは避けられないほど、人間の精神は複雑であらゆる影響を受けている。現在どんなに嫌な性格があったとしても、それは今まで生きてきた自分の結果であって、変えることなど出来なく、それを抱きしめつつ生きていくしかないのだ。

 

ま、それでも人生結果。本人が幸せなら別にいいじゃん?と思う部分もある私なのでした。