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底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

大前提として、ネット社会など存在しない

ネットで炎上し、鬱になってしまったタレントがいた場合、

「ネット耐性が無いならネットやるな」

という事を言う人がいる。また、ネットと現実とは使い分けている、出来ない人はネットをやるな。それがネット社会だ、という人も。

私も昔はそう思っていた。ネットではこういう文化が、とか、ネットではこういう反応が当たり前だ、とか。

ただ、プライベートでも仕事でもこれだけIT業界が長いと、その考え方が変わった。それはネット社会など存在しない、ということだ。ネットでの発言や行動も含めて、それは現実社会であり、人が創りだしたそのものなのだ。

例えば、現実社会(わかりやすく、通称で使用する)では品行方正な人が、ネットでは芸能人への誹謗中傷で憂さ晴らしをしたいたとする。そういった人は会って少し話をすると結構わかるものだ。日本語で言うと、いわゆる品行方正なのだが、根本が違う、というか。では、そういった人と結婚して子どもが生まれた場合、どういった教育になるのか。ひと目に触れない環境(ネットの匿名性)と同じ時、その人はどうするのか。

 

私は見ず知らずの人と対面でムカついたからといって、その人に「死ね」など言わないし、言う気も起きない。それは、「死ね」という言葉がその人の人格と人生をすべて否定することであり、その重みを知っているし、まったく知らない人であっても、その歳まで生きた証に多少なりとも尊敬の念があるからだ。もちろん、ネットでも言わない。昔別のブログでLDHと仕事をしていた経験を元に、簡単に言えば、「EXILEはタレントが経営も見る事で成功した事例」として紹介した時、多分ブログの内容を理解できず、ざっと読んだだけで、金儲け批判と読み取った(いや、思い込んだ)ファンの人らしき人から「お前みたいなブサメンは死ね」的な事を書かれた事があった。もちろん、コメント主には会ったこともないし、追跡も出来ない。そもそも、私が男かどうかもそのブログでは言及もしていなかった。私は一瞬、そのコメントを見た時に、その悪意の振りまき方に本気で手が震えた事を覚えている。見ず知らずの他人に、それもどんな人かも追うことが出来ない、幽霊のような存在ではあるが、絶対に人間である存在。そういうモノに「死ね」と投げかけられる衝撃。その時から、私は機会があったらネットでの人間性と現実の人間性の正誤性を観察するようになった。

 

結論は先に述べた通り。確かに、ネットは便利な道具で、逃避場所が無い人に素晴らしい場所を提供してくれる。しかし、他人の尊厳を考えない発言を繰り返していくといつのまにか自分自身の人格形成が歪んでしまい、後戻りが出来なくなる可能性が高い。誹謗中傷が平気で出来る人はすでに遅いかもしれないが、それでも、そういった自分を省みて、現実の自分と照らしあわせる事はできる。

 

個人の悪意の散布はいずれ巨大な社会を形成する。ゼロにするのは難しい事だが、底辺層同士が潰し合うのは避けるべきかと思う。なぜなら、まず一番に悪意社会流動に操作されるのは教養のない底辺層だからだ。

 

他人に対する影響力とはなにか。常に他人に尊敬の念を持ちながら邁進していきたい。