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底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

朝まで生テレビ!~女性が輝く日本とは~を最後まで見てしまった・・・

単なる日記

就寝後1時間半でトイレで目が覚め、テレビを何気なく付けてしまったらちょうどスタート。何度か寝ようと試みるが、結局最後まで見てしまった。

まあ、今の現実の認識が出演者でかなりずれていたので、議論が平行線になる。これが朝ナマの醍醐味なのだろうけど、ちょっと気になるのが、毎度女性関係にかかわらず上がってくる、「日本人の文化、風習、伝統、家族」という万能ツール。いつの時代の日本人を最適として定義しているのだろう。そして、どの地域の人の事を言っているのだろうか。日本人、日本人、といっても、地域によってその価値観は180度違うといっても過言ではない。

私が小中学生の頃は見知らぬ人でも、大人がいたら悪さはしなかった。ある意味、見えない所ですることが悪さの面白い所であり、大人も平気で叱ってきた。しかし、現在。東京では大人の方が率先してルールを破る。老人などは自分中心で車道を渡る。こんな事は私が未成年の時には見られなかった。

別に今の人を責めているわけではなく、時代の変化とともに得られたモノと失われたモノがあり、社会も変化しており、失われたモノを取り戻したいのであれば、その分析と対策をすべきなのだ。何か有るたびに、現実社会の変化で起きている事象に対して「日本人の伝統、文化」を当てはめて対処しようとするのは、土台無理があるのだ。

例でいうと、日本人はどんな時でもしっかり列を作る、というが、これはそれが正しい、という正義の感覚が主な理由ではない。まわりがみんなそうだから、という人の目を気にする、長いものに巻かれる、という低劣な感覚の方が強い。この事は東日本大震災の時にサンドウィッチマンが言っていた、「田舎なので、みんな顔見知りだから秩序が保たれた。」という言葉に集約される。なのでこの列を守る力は逆にも働く。有料化になる前の二子玉川の河川敷では、BBQシーズン、誰かがゴミを放置したら、そこに次々と山のようにゴミが集まった。都内の路上喫煙禁止区域でも、表通りでは吸わないが、自宅に帰る路地に入った瞬間吸い出す人も多い。そう、これが社会の変化でも変わらない日本人の気質でもあるが、それはなぜかこういう議論では使われない。使われるのは都合のいい、「マナーを守る日本人」という気質ではなく、結果のアウトプットの部分だけだ。

 

人の行動には思想がある。その分析無しに、政治制度に何かのアウトプットから都合のよいアプローチをするのは前提が間違えている。

 

なんて考えながら見てるから寝れなくなるのね・・・・。番組内容はつまらなかったけどね。