底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

女性専用車両は男性差別なのか

都内に住む私が電車内でトラブルになった事は約10回以上。その内、1回だけ女性の時があった。

 

私は基本、平日の昼間は余程の事が無い限り電車の座席に座る事はない。いちいち譲るのも面倒だし、立っている事も嫌いじゃないからだ。そんな私がほんの数十分で着く吉祥寺へ向かう時だった。

予め、終点吉祥寺で開く扉の方にずっと立っていた私の後ろに黒のスーツ姿の20代前半と見られるの女性がいた。彼女は扉隣接の柱(バー)につかまり、一心不乱にスマホをいじっている。車内の人間観察が趣味でもある私はそんな姿を見ながら「新卒で営業かな?いや、年齢的に新卒2,3年目かな」と思っていた。

事件は終点吉祥寺着いた時に起きた。扉前でずっと待機して立っていた私は終点のアナウンスと減速を感じてからは扉前に体を開いて立つ。そして着いた途端、後ろにいたはずのその女性が私をガン!と押しのけて降りたのだ。見知らぬ他人に触れることさえも嫌な私はもちろん、後ろからのそのアタックを許すはずもない。とっさにその女性の腕を掴んで「おい!なんだよそれ!謝れよ!」と詰め寄った。その女性は私の手をふるほどいて逃げようと一瞬したが、私の鍛えぬかれた力にかなうわけもない。その直後だ。初老(見た目、60代前半)の男性(着ているモノから見て、そこそこ中の上の階級の生活をしているだろう)が、私の背中を掴み、私だけをにらみ「何をしているんだ!」ど力を込めて制してきた。彼は目に憎しみと正義の光を放ちながら、もめているとみられる私と女性ではなく、私だけに詰め寄る。更に頭に血が登ったが、この金もち老人は明らかに私だけを敵対視していることがわかったので、早口に事情を説明したが、その老人は私だけを掴んで話さず、「警察を呼ぶ」と言う。もちろん、やましい事もないから「どうぞ」と促しながら、私は女性を話さず駅長室に入った。

 

その後、名前と住所を警察に聞かれて記録された。その初老の男性は現場から去った。ぶっちゃけ、問題の女性と私の間での事なのであれば何も不満はない。ただ、私は見逃さなかった。その初老の老人がのドヤ顔を。何も事情を知らないくせに、ごつい見た目が怖い男性が女性に詰め寄っているのを助けた、私、という自分の中の正義感とそれを満たされた満足感のスッキリした顔を。そして、私の記憶は原因を作った女性よりも、このドヤ顔の老人への嫌悪感で満ちるようになった。

 

女性専用車両というのは、こういった、女性蔑視(女性は弱い)という価値観を持った旧日本人男性基準から出来たものだ。つまり、女性線量車両というのは、男性差別なのではなく、女性蔑視社会の象徴なのだ。それだけではない。男性、女性、という価値観に囚われた、個々の人間性を尊重しない日本人気質が根底にある。アラフォー。アラサー。アラフィフ。ゆとり。血液型。カテゴライズしてひとくくりに人間性をジャッジすることがどれだけ差別思考なのかをほとんどの人は理解していない。

上述したように、酔っぱらい等の男性とのトラブルの方が私は実際多かった。もちろん、すべて力で制してやった。ただ、それが出来る人は男女とも少ない。統計的に考えた時、女性専用車両は必然の結果なのだ。

でないと、先の老人のように、一方的に男性が悪い、というクソ老人も多数存在するわけ。そんななか、他人に対する尊敬と、自分が被害を受けると思っていない現代に日本人に対して、大雑把に男性、女性という性差別がある社会で、お互いを守るためには性別分けされた車両が一番安全なのである。悲しいことではあるが、これが日本の性差別社会なのだ。

 

表層的に女性専用車両男性差別だ、とネット資源を埋めてツイートする集団を見つけたので、現実を述べてみました。