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底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

底辺の引きこもりが少し気分が良くなった出来事

底辺日記

ども。底辺くんです。

私はなぜ最近引きこもりになるのか。無職で収入は無し。生活保護をもらっているわけでは無いので貯金の切り崩し。なので原則節約生活になる。そのため、出かける事は食材の仕入れの時だけ。中年になると友達もいなくなる。そしてずっと家にいると何か気が狂いそうになる。自己嫌悪とかそういう事ではない。なんでもいい、楽しい事が欲しいのだ。そして、少しだけ、と思い酒に手を出す。最初は夜だけ。そして酔って寝る。節約生活とは真逆だが、つまみは自分で作る、というのが心のエクスキューズになる。そのうち、昼から飲むようになる。そうすると、今まで自作だったつまみも少しずつ購入するようになる。主にスーパーの惣菜なのだが、これは心理的には誰でもいいから、自分の為に作った品を食べたい、という欲求なのだ。そのうち、つまみがすべて市販品になる。そして毎日昼から酒浸りになり、起きている時はすべて酒、という生活になる。もちろん、今まで節約していた金はみるみるうちに無くなっていく。そしてびっくりするほど少なくなって落ち込む。そして体重も数週間で10kg以上増え、その醜い外見に落ち込み、更に現実を忘れたくて酒に走る。

 

金が無くなる→現実を見たく無い→酒を飲む→醜く太る→外出したくなくなる→酒を飲む

 

このサイクルから逃れる事は難しい。社会から隔絶されているわけだから、誰にも気にされない生活。孤独感は更に現実逃避感情を生み、トイレで吐きながら

「このまま酒浸りになって病気になって死にたい」

という思考に襲われ、二日酔いの頭痛の中、朝から酒を飲む。

 

そんな時、気が付くと11月の三連休。私は関係の無い勤労感謝の日だが、都内の紅葉が見頃だという。そういえば、大学時代から神宮外苑のイチョウ並木は毎年必ず見に行っていた。社会人になっても彼女と一緒だった。一人になった去年は行かなかった。天気予報を見ると、翌日から雨で寒くなるという。この祭日が一番綺麗なはずだ。

とはいえ、祝日は多くの家族、カップル、友人同士が溢れており、自分が孤独である事が際立って感じられ、ずっとそういった場所にはいかないようにしていた。しかし、このままだと千と千尋の神隠しの両親のように豚になってしまう。一念発起して自転車で神宮外苑へ向かった。

思った通り、ものすごい人。一人の人などほとんどいない。バイクと高級自転車の人ぐらい。ああ、デブの私がいる場所ではないな、と思った時。目の前の家族が柵にカメラを置いてタイマーで写真を撮っていた。しかし、「あれ?ダメだな・・・」とデジカメを確認したお父さんは首をかしげる。私はとっさに「撮りましょうか?」と声をかけていた。

私は社会人の時から声をかけて積極に声をかけて写真をとってあげていたし、お願いされることも多かった。しかし、ひきこもりの今、到底社会人に見えない異様な外見に誰からも声をかけられる事はなくなった。しかし、人の性分とはそう簡単に変わらないものだ。考えるよりも先に声をかけていた。そして逆光の難しいコンディションの中、フォーカスロックをきかせて撮ってあげた。

次は駐輪場に自転車を置いた時。横に停めてあった面白いシェアサイクルのカップルに「これ面白いですね」と話かけちょっと会話。

 

これだけ。これだけでその日も翌日もものすごく気分がいい。やる気にあふれている。引っ越し後何もしていなかったゴミ部屋も少し片付ける事が出来た。

もちろん、私が本来会話好きのお喋りさん、というのもあるが、久しぶりの他人との直接対話。それだけでテンションが上がる、という経験を初めてしたのだ。

この感覚は

ネットでの他人と会話しても

風俗で嬢と話しても

何かのオフ会に参加して色々な人と実際話しても

得られなかった効果。なぜだろうか。私が思うに、お膳立てや前提が無い、まっさらな状態で、自分から行動を起こした結果、というのがポイントだったような気がする。自ら行動を起こす気力がゼロだった引きこもりが社会人だった頃の行動をした、という部分もあるのかもしれない。

 

タイプにもよるが、現在引きこもりの方やどんどん精神が底辺に向かっている孤独な人は現実社会に居場所が無いからその状態なのに、誰かが設けたフィールドに出て行った所で、疎外感は増すばかり。昨日の事なのでまだ分析は十分ではないが、むしろゼロフィールドでの行動から思わぬパワーをもらえるかもしれない。

参考になれば。