態度、マナーでの老害など存在しないわけ
若者や店の従業員等に横柄な態度をとったり、社会のマナーを破っておきながら開き直る老人の事を「老害」として世代間ギャップとして語られる事がネットでは多い。私も老人になると住む世界が狭くなってそうなるものだと思っていた。しかし、自分が底辺層の住人になってみて、そうでは無い事に気づいた。
人間性は簡単には変わらない事実
語弊を招く言い方だが、自分の性格を変えようと努力している人はいるが、結局変える事が出来るのは態度や見方であって、根本的な精神の性質はそう簡単には変わらない。もちろん、それさえも変えようと修練を積んでいる人を否定する気はない。どんな金持ちでも、グローバルカンパニーで重役であろうとも、その根本的な人となりはそう庶民と変わるわけではなく、自分の立ち位置で振る舞いがうまくなり、見識が広い事で最善の選択を出来るだけである事が多いのである。貧乏な時に子犬を蹴飛ばす人間は金持ちになっても同じなのだ。見識が広まって変わる部分の例をいうと、今まで気付かなかった他人の痛みを理解して、今後気をつけよう、というような事。この人の人間性は元々他人を痛む性質があっただけで、元から他人の痛みになど目を向けない人は自分に得がなければ気にしないのだ。
老害の根本は人間性
確かに、世代間ギャップというのはありそうな感じがする。例えばタバコ。現役時代に勤務中社内でタバコを吸いながら仕事をしていた世代にとって、分煙や路上喫煙禁止など守れるわけがない。そんな思考回路は老人になるまで学ぶ機会がなかったわけだから。
しかし、実際はそうではない。しっかり喫煙マナーを守る老人も意外と言っては失礼だが、多い。その半面、比較的若い世代でもまったく守らない人も多い。守らない人はタバコの煙によって見ず知らずの他人が嫌な思いをする事になってもなんとも思わない人達。果たして、この人達はその他の面では他人に対して敬意を持って接する事が出来る性質の持ち主なのだろうか。