底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

ジャーナリスト風味な人達

ネットメディアの発展によって、ジャーナリスト風な人達が増えた。そういった人達は個人で執筆の仕事を請け負っているので、そこそこ尖った意見を言わないとならない。

執筆で原稿料を貰えればおんの字でもあり、自らのブログへの誘致での広告や、メルマガ等で小銭を稼いでいる。もちろん、それだけで生活出来る人はほとんどいないため、多くは別の職業やパトロン(妻の収入とか)があったりする。

 

そういった業界背景もあり、執筆者は自分をどう見せるか、というブランディングが大切になる。また、できれば本業につながる方がベター。という事で、例えば

 

・ボランティアをビジネスとして荒稼ぎしている人→必要以上に儲けている、と思われないように、様々なメディアで無償のボランティア風のハートフル記事だったり、現場で頑張っている若者をフューチャーする内容の記事

 

というような事になる。そしてそれを見た一般庶民は筆者の社長や幹部を勝手に自己基準で「いい人」認定したりする。そして、人が集まる。こういった企業努力行為自体悪い事ではなく、カリスマ社長の言う事、生き様に心頭してしまい、気がつけばブラック企業でその手助けをしており、自らがブラックである事に気がつかないのと同じだ。自らのより良い生活の為に騙す人がいるのはいつの世も同じ。騙される方にも現代に応じた相応の勉強が必要な時代なのだ。

 

そんな中、個人のブログレベルの内容で結果を求めない人権派気取りのアピールをする人達が大手ネットメディアで幅を利かせているとちょっとなぁ、と思う。言論の自由があるので、差別発言や誹謗中傷で無ければ個人メディア内での発言はどうでもいいのだが、公のメディアで自らを「いい人に見せたい」アピールのブランディングがくどいのだ。先の例はしっかり結果を追求している。わざと炎上させてアフィリエイト稼ぐ、安い賃金で人を集める等、結果=儲ける事、だ。もちろん、人権アピールをする人達がまだブランディングの初期段階であり、名前を売りたい、執筆で小銭を稼ぐまでになりたい、あわよくば・・・、という事は十分わかる。しかし、結果を求めない社会への主張など、単なる個人の不満であり、個人ブログレベルの内容でしかない。

「いやいや、誰かが言わなければ世の中変わらない、なので率先して自分が」

というのはジャーナリストの仕事であり、日本ではジャーナリストはほぼ存在しないし、それで食べていく事もほとんど出来ない。それでも真のジャーナリスト達は真実の追求の為に自らの時間を費やしているし、本当の人権派は行動も伴って自らの求める結果を得ようと必死になっている。そういった中、自らのブランディングの為に社会の重箱の角を突いて人権派アピールだけをする人達。彼らの多くは大手ネットメディアに掲載出来るほどの人間、というよりも営業努力や元同僚などのコネでたまたま、という人も多い。IT業界は執筆業界と同じく非常に世界が狭く、営業努力ですぐ繋がれる。そして、コネが重要な構造である事はITといえども、日本社会であるかぎり同じだ。そんな中でネットでいい位置を勝ち取った人達だ。執筆内容が意味する影響はカテゴライズして分析しているだろう。

そんな中で社会システムを批判する事で人権派をアピール。自らは何も行動せず。発信力のある大手メディアで発言するチャンスと実力があるのであれば、批判したい、そんな小さな社会ルールなど、区議会議員レベルで改善出来るわけで、立候補するなり議員に働きかけるなり、いくらでも信念があれば結果を求めて行動出来る。彼らのような立場にない人達はそういった事が出来ないから個人のブログやニュースのコメント欄などで匿名で不満を言ったりするレベルなのだから。

 

ここまで書いていて、ちょっとこの内容は論理破綻しているなぁ、と思ったけど、せっかく書いたので公開。まぁ、自称人権派も一生懸命なんだよね。せっかく得た地位を維持し、上がっていく為にはなりふり構わずっていう事で。

自分を大きく見せないと生きていけない世界なんて、ポイズン!

だけど、現実。