「あけましておめでとう」という言葉が嫌いだった
年号が明けただけで、「あけましておめでとう」「Happy New Year」などという言葉が氾濫する。
誰にとっても「おめでとう」なんて事は無い。特に私のような友人もいない孤立した孤独な引きこもり中年にとって、年をとる事はチャンスが減る事、死へ近づく事でもあり、何一つめでたい事ではない。しかし、どうしてもこの「おめでとう」の文字が目に入る。何がめでたいのだ。勝手に自分達の幸せ感を押し付けるな、と思っていた。
しかし、社会の最底辺層あたりまで落ちると、この考え方が変わった。多分、今までは幸せの基準とは相対的であり、「おめでとう」というのは世間全般の雰囲気で、そこと比較していたのだ。だが、最底辺層は世間と比較する事がそもそも出来ない。社会と接していないから、比較する世間が無いし、自ら最底辺と認識しているわけだから、わざわざ何かと比較する必要も無い。
そうなると、今年は「あけましておめでとう」の捉え方が変わった。この言葉は世間が幸せを押し付けているのではなく、
「みんな色々あるよね。苦労もいっぱいしたよね。でも、なんとかまだ生きているよ」
という挨拶なのではないか?と思ったのだ。なので、この言葉は何かしら触れ合う人にしか言わない。ネット上であろうと、テレビであろうと。
「(あ、あなたも生き抜いたのね。)あけましておめでとう!」と。
すべての生きている人に対する賛辞だと思うのだ。
なので、今年はこの無限に広がるネット上で奇跡的にこのブログが目に入った人に対して、
「年が明けました。何はあれ、あなたが生きている事がおめでとう!」
と言いたい。