底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

桑田佳祐がラジオで再度謝罪したけどさ

そもそも、何かある度に「反日だ!」とか「日本人として・・・」とか叫ぶ人達(ネトウヨとか)はどこから出てきたのだろうか。

例えば、中国は世界中で華僑的なつながりが強いし、韓国人も日本での活躍を見る限り、民族的つながりが強い。しかし、日本人にそういった民族的なつながりで海外で一大勢力、という事は無い。つまり、民族的なつながりが弱いのだ。

これは第2次世界大戦で負けた、という事もあるが、日本政府が海外の日本人を切り捨てた歴史も影響していると思う。ブラジル、シアトルなどがいい例だ。アメリカで私が仕事をして感じたのは

・中国、韓国、インドやヨーロッパ等はアメリカにいても常に自国の事を考えていて、いずれは国の役に立ちたい、という人も結構いた。

・日本人は自分の人生を彩る事だけ

という感覚だ。

そりゃそうだ。戦後教育はサザンの歌詞じゃないが、近代史はほぼ時間切れなので自分で学ぶしかないので、自ら学ぶ事をしないと第2次世界大戦で負けた敗戦国、という強いイメージしか近代は残らない。そこに民族の誇りや、親日感情など生まれるわけがない。私は親の教育のお陰で自ら勉強する機会を貰えたので多分一般の人よりも近代史は詳しいのだが、そんな私でも中国人、韓国人のように自国を誇りを感じるような事はない。むしろ、様々な事実を知れば知るほど日本、というか既得権益層が支配する日本社会が憎らしく思うぐらいだ。

そんな私なので、例えば中国、韓国でたまに反日デモで日本国旗を燃やしているシーンがあるが、正直なんとも思わない。それで侮辱した気持ちになってスッキリするならどうぞ、というぐらいなもんだ。私の年代はそういった人達が多い。もちろん、上のバブル世代なども同じような感覚な人が多かった。

私の親(73歳)でも親日感情、というより攻撃されたらやり返す的な感覚で、それは学生運動などがあったリベラル思想の時代に大学生だった事が影響していると思われる。なのでネトウヨのような発言は基本無い。ゆとり世代は更に教育が薄いので民族性が生まれるわけもない。その証拠にゆとり世代は個人で海外で活躍する(したい)若者が増えた。才能と機会がある者にとって日本の全体主義は足かせでしか無かった、という事だ。

では、何かと反日、と騒ぐ人達はどこから生まれたのだろうか。分析する限り、中国、韓国のように教育で根付いたモノでは無さそうだ。そこで、ちょっと視点を変えてみた。

中国、韓国はある時期、政府への不信感への負のパワーを分散させる為に、怒りの矛先を海外、特に日本へ向ける教育をしていた時期があった。その年代層は大人になり、現在反日デモ等を行う中心になっている。

アクションがあったらリアクションがある。負のパワーを向けられるとやり返す。パワーバランスが均衡状態だとこういった事になる。猫一匹が人間に噛み付いても小さな怪我で済んで捕まるぐらいだが、猫同士だと大げんかになる、という感じ。中国、韓国では反日教育を受けてなおかつ、社会ヒエラルキーの底辺層が主に反日行動を行っていた。そして、対外パワーを受けて日本国内で反発するように民族愛が生まれた、と仮定すると、それは日本国内で底辺層が増えている事なのではないだろうか。

つまり、日本国民(庶民)が豊か、と感じている人が多い時は民族愛は生まれず、反日だ!と叫ぶ人などいなかったのに、今現在、生活が厳しい人が増えた為、国の政策によって生まれた対外の反日感情を消化出来ず、反発する事で自らの立ち位置を感情的にごまかしているのではないだろうか。

 

というのも、実は皆気づいているのではないだろうか。自分達の生活が厳しいのが単に自分達の努力が足りないだけではない事を。実は心の中で「社会のせい」と思っている節があるのではないだろうか。そしてその社会というのは自分自身も有権者として責任があるのに、「誰に投票しても世の中変わらない」とあきらめ、一部の既得権益層が更に得をするのを横目で見ながら、「社会を変える事は出来ないから、自分達が変わらないと、頑張らないと」と本来、社会を変える事は出来るのに、無意識にストイックに自分自身を責めてしまっているのではないだろうか。つまり、多くの低収入レベルの日本人は日本=政府、は嫌いで期待もしていない。しかし、それは自ら生きる社会も否定する事になってしまう。自己の存在の否定は辛い。なので心の拠り所として、やはり日本、それも伝統的(と信じられている)な日本を最後の砦としたいのではないだろうか。

 

政府は大っ嫌いだが日本は好き、という矛盾がこれで説明が付く。本来、何かと反日行動だ!と騒いであれだけ人気のある桑田佳祐がしつこく謝罪する程、日本が好きな人が多いのであれば、戦後最低の投票率を更新するわけがないのだ。誰もがより良い日本を作るために政治に参加するはずなのだ。

 

テレビマンは視聴率を稼ぐ事に関してはプロだ。なのでしっかりそうした庶民層の考え方も理解しているのだろう。低予算で制作でき、なおかつ低所得者層の日本ラブな気持ちを満たすべく考えた企画が日本に来る外国人に「日本に来てすごいと思った事」を言わせる企画だ。これによって、低所得者層は更にネトウヨ化し、なおかつ心の底で勝手に「政府は嫌いだが、日本のいい所(安全等)もあるし、色々搾取されてもトレードオフな関係でもあるよな」と解釈して飲み込んでしまうのだ。だから反政府デモなど起きない。それでもやはり政策によって辛くなる事は多い。それが今の日本なのだが、

外国人から見て日本のいい所=その部分のみ、日本の伝統

と信じないともう生きていけないのではないか。本当は少子化でも待機児童が解消されない、不景気なのに消費税UP(それも社会保障費以外に流用)、パワハラ、セクハラ。1200万円の給与に+して1200万円の領収書不要の経費を貰える国会議員。全部これが日本であり、日本国民がやっている事で、日本国民が選択している事なのだが、脳内変換で、政府もブラック企業も日本では無くなっているのではないだろうか。しかし、薄々はわかっている。同義であると。なので、ナッツリターン事件など報道にはここだ!と言わんばかりに、財閥企業を責めるのではなく「これだから、韓国は」と国を責めるのだ。しかし、こういった人達は逆の事は絶対言わない。ワタミやベネッセのパワハラがあっても、「これだから日本ってやだよな」とは言わないのだ。

 

この考え方が正しいと、アベノミクスのお陰でこれから更に低所得者層が増えるので、益々ネトウヨは増えるだろう。大衆を相手にする表現者はその事を踏まえ、慎重に対処しないとならない時代に突入する。そして、ネトウヨはネットから飛び出して、回顧日本主義派として確立される日が来るのだろう。

大丈夫かな、日本。