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底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

イスラム国邦人拉致って自己責任? ~ イラク日本人青年殺害事件で学んだ事

私は映画が大好きだ。特に若い頃はホラー映画に凝っており、高校時代にレンタル店の該当棚は全部見た。もしあの時に何かしら事件を起こしていてレンタル履歴をマスコミに調べられていたら間違いなく「ホラー映画ばかり見ているサイコパス」扱いされていただろう。スナッフビデオは合わなかった。脚本がつまらないのはダメだ。やはりストーリーが無いと。また、第二次大戦関係や現代の戦争の報道されない背景を個人で調べていたので死体映像もある意味見慣れている、と自負していた。

 

そして月日が流れ、あの事件が起きた。日本人の青年、香田証生さんがアルカイダ系武装グループに拉致されたのだ。先に別の邦人(ジャーナリストと報道)が拉致されており、その時も被害者がバッシングを受けたのだが、青年がバックパッカー世界を旅している、という報道しかなく、そのためにネット、マスメディア共々酷いバッシングだった。テレビでも「バックパッカーは自己責任で低予算旅行をしている。なんで危険地帯に行ったのだ」と見ず知らずのコメンテーター陣から批判を浴びていた。私もバックパッカーなので、受ける情報のまま、「なんで危険地帯にわざわざ行くかね。行動の結果だな」ぐらいしか考えていなかった。

 

そして香田さんが殺害された、という報が入った。私は動画が消され前に見なきゃ!という気持ちと怖いもの見たさですぐネットで動画を探した。そして発見した。まるでスナッフビデオの映像を見るかのような興奮で再生を押した。

 

私は溢れる涙を止める事が出来なかった。何度も映像で動いている(生きている)姿を見ていた香田証生さんが目の前で無残な姿になっていた。悲しい、酷い、とは違う感情。私は何処か他人ごとで、自分の問題と考えずにしたり顔で「危険地帯に行った人の自己責任」と考え、興味本位でわざわざ動画を探したのだ。生が死へと変わる、それも他人の手で。リアルな現実。それ相応の犯罪行為でもなく、たった一つの選択肢、行動によって他人の人生を全否定し、「殺されて仕方ない」なんて。私はなんと低俗なのだ。断じてあってはならなかったのだ。行動=自己責任=死んで当たり前、まで行ってしまうような考え方だと、人は選択ミスを一度しただけで人生すべてを否定される世界になってしまう。「行動=自己責任」と「人間」の間にはまったく違う次元での解釈、思想が必要だったのだ。そういった事を、目の前で人が死なないと判らなかったなんて。彼を殺したのは私であり、殺されるのも私なのだ。

 

当時、100人程の部下を抱えていた私はそれからマネジメント方法が変わった。ITの大手上場企業で若い人が多かったため、若い役員達は時価総額に見合う社員集団にしようとして遅刻を厳罰化したりしていた。しかし、私の部だけは特別扱いにしてもらい、マイナス部分は評価に入れず、プラス部分だけで評価する私が考えた人事システムにしてもらった。

女性との付き合い方も変わった。喧嘩をする、という発想が無くなった。それまでは私は自己主張が強く、どちらが正しいか、善悪か、という事にこだわりが強かった。しかし、「そういう考え方があるのか」という受け止め方になった。

 

そういった考え方でも現在無職無収入孤独な底辺くんなので、私の方が日本社会にとって必要のない存在なのかもしれない。それでも、「行動=責任」に対して、人格、人生否定が起きない社会の方が、人が失敗しても再起しやすい、人間にとって優しい社会になるのでは、と思うのである。

 

後藤健二さんと湯川遥菜さんが無事である事を祈ります。