底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

もうね、オウムの事件はテレビで特集すべきじゃないのですよ

昨日は地下鉄サリン事件から20年の日だった。私は当時そのニュースを電話で聞いて、「いや~、オウム真理教がそんな事出来るわけないよ」と、映像を見るまで信じなかった事を覚えている。

 

オウム真理教を継いだ、アレフ、光の輪。両方とも信者を増やしている、という報道が。そりゃそうだ。あれだけ何度もテレビでオウム真理教の事を宣伝してあげているのだから。

 

すごくエクリとリームな内容なわけ。オウム真理教関係に事件は。という事は、それに惹かれる人が出てきてしまうわけ。ISILと同じ。彼らの殺害行為を見て、世の中に悲観する人もいれば、それによってISILに入隊しようと思う人もいるわけ。

 

私が麻原彰晃を知ったのはかなり昔。まだオウム真理教が無かった時代に、「ムー」という超常現象雑誌で修行により空を飛ぶ事が出来る人間、として紹介されていたカラー記事(ちなみに、巻頭カラーはブッダの生まれ変わりのチベットの子供)。彼はまだ体が細く、上半身裸で禅を組み、川の側の岩にいつものポーズでいた。その内容は学校で多いに盛り上がった。無造作に伸びた長髪。目をつぶり川べりの巨岩の上で瞑想にふける姿。子供でもわかった。ギャグだ、と。

しかし、その後、彼はオウム真理教として多くの信者を集める事となった。私は朝まで生テレビの彼らの特集も食い入る様に見た。もちろん、翌日の話のネタにするためだ。

通常(?)の感覚ではあまりにも突飛すぎる怪しい話は懐疑的になるものだ。しかし、一部の人達は違う。そのエクストリームさは理解を超えてむしろ惹かれてしまうのだ。

 

理解を超えているからこそ、否定、もしくは一旦保留する。

理解を超えているからこそ、受け入れる。

 

どちらもアリ、なわけで、特に後者はある意味純粋な人に多い。そして、そういったピュアな人達は狭い社会生活の中で生まれやすい。年収は関係無い。親の遺産で苦労知らずの不労所得で友人数人としか付き合っていない富裕層や、毎日同じ生活、同じ人としか会わないワープアであっても、この部分は同じなのだ。

 

地下鉄サリン事件で未だに多くの犠牲者が苦しんでいる、という事は20年たってもなお、オウム真理教が影響を与え続ける事が出来る存在である、という事と同義であり、それに対して、「ふざけんな!」と思う所を、上記とは別の意味で狭い社会で生きていて、自分が何で生きているかわからないような人々にとっては、巨大な力の象徴にもなり得るのだ。ISILと同じように。

 

日本で10万人あたりの超富裕層の数は13人。これは実はアメリカと同じ数だ。日本ではアメリカこそが貧富の差がデカイように言われているが、データは嘘をつかない。日本は益々貧富の差が広まり、搾取される側が明確になる。そんな人達が感じる社会に対する怒りの受け皿にオウム真理教はなり得る。

 

なので、もうテレビでオウム真理教特集はやらない方がベターなのでは、と思う。アレフ、光の輪の信者が増えるタイミングって、多分テレビで特集された後の方が若干多いと思う。彼らの事件は社会の問題として現在に活かし、団体の存在としては忘れ去る。無関心になる。それが一番の世間からオウム真理教への仕返しだと思う。