底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

40代、50代の酷い言われようはいかがなものか

ある有名な田舎暮らしを実践体験している方が40代、50代について、応募もするな、若者しかいらなぇ、レベルの事を言っていた。理由は頭が固く、田舎暮らしを定年後の住まいと考えている人が多く、価値観をそのまま持ち込むので、地域活性にも役に立たず、住民みんな迷惑している、というのだ。

 

なんと酷い言われようか。多くの組織をまとめてきた私からすれば、異質なモノこそが組織の発展に刺激を与え、発展を促す、と思っている。確かに、若者の方がコントロールしやすい。ただ、それは文字通り、コントロールなのだ。自分のやり方に忠実かつ純粋な存在。それは単純に社会経験が少ない事で、先入観が無いので洗脳されやすいという事だけであり、人間性とはまったく関係がない。なので、ゼロスタートのものに挑戦しよう、という人間に年齢による人間性の差は無い、と私は考えている。人間性が腐っている人は年齢にはほぼ関係がない。現在、老害といわれるような人は若い時からそういう人なのだ。反社会的行動の範囲がどこまで対人レベルまでシュリンクするか、というその人の社会的立場の問題なのだ。

では、年齢による違いとは何か。もちろん、人生経験だ。それにより、違った目線が生まれる。例えば、伝統工芸を引き継ぐとしても、まずは100%引き継ぎ、その後に独自性を出す。こういった行為に年齢は関係ない。クリエイティブでありたい、という思いの強さだけだ。

では、横から色々文句を言う中年はどうだろうか。タダで教えを請うているいるにも関わらず、その態度はいかがなものか。もちろん、問題だ。ただ、これがマイナスな事もあれば、プラスな事もあるのだ。私でさえも、99%自分が優っていると思う中でも、1%、え?という視点からの気付きを与えてもらえる事って結構多い。逆に言えば、99%苦痛な中、1%の成長がある事の素晴らしさは変えがたい、成長の種なのだ。そして、それらは相手の年齢に関係はない。大事なのはこちらが相手の人間性、人生に対してどれだけ敬意を払えるか、という事だ。

 

つまり、上記の地域で地域振興で盛り上げたい、と言っている人達は、自らの国を作りたいだけで、従う人が欲しいだけだ。その為には若い人の方がコントロールしやすい、というだけ。本気で盛り上げるのであれば、ミックスは本来必須なのだ。

 

そんなちょっとしたサティアンのような田舎暮らしをするのであれば、本気で日本から独立して国を作ればいい。日本という社会システムの保護下にいながら、偉そうに人間選別して、自給自足生活なんて、単なる宗教でしかない。そして、それは太古の歴史をみても、戦争の原点の思想だ。

 

日本に過疎化地域が生まれるのは立地だけが問題ではなく、そこに住む人間の問題である、という事をあらためて認識出来た事案であった。