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底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

貧困層を救う活動をしているNPO団体のセミナーに行った結果。

底辺日記 上から日記

なぜ行ったのかわからない。ただ、カレンダーにメモしてあったのでその時には行ってみようと思った何かがあったのだろう。正直、ボランティア系の人達とは気が合わないと決めつけてしまっている自分がいるのだが、それでもメモをした自分を信じて行ってみる事にした。

結果。

ものすごく落ち込んだ。

彼らの活動云々の話ではない。ほんの少しの事例を伺っただけだが、それだけで様々な背景、社会モデルがわかってしまったからだ。ここで大事なのはビジネスモデルではない。為政者が作りだす社会モデルの事だ。

ああ、なんという事だろう。我々はまるで釈迦の手のひらの上でもがいているアリのようだ。この団体の方たち全員がその事を理解した上で現在の活動をしているとは思えない。というのも、もしこのシステムを知ってしまったら、今の活動があまりにも虚しくないか?いや、もしかしたらそんな事を承知の上で目の前で困っている人を救う為の行動をしている事もありうる。

私からすると賽の河原のように見える光景。彼らが入っている社会システムを俯瞰して見てしまい、救っても救っても変わらない現状、いや、私の想定が正しければ更に悪化する事がシステム上ありうる。それはすべて人間によって起こされる。それでも彼らは俯瞰しようがしまいが、目の前の石をしっかり積み上げる事を続ける。そのように目の前の人を救おうとする事が出来る人間がいるのか。かといえば私のようになんでも分析し、計算し、俯瞰して全体像を把握する事から始める人間もいる。

 

そんな私は俯瞰して見えた社会地図を利用して自分が儲かる道を見つけ、自身の幸福の為に行動すべきなのか。それとも、地図上に降り立ち、せっせと変わる事の無い修正を続け、他人の救う事に自身の魂の救済や満足を得るような生活をすべきなのか。それともこのフィールド上から立ち去るべきなのか。

帰路、ボーっとしていたら、新宿の飲み屋密集地に入ってしまった。今日は金曜。多くのサラリーマンが飲んでいる。おしゃれ立ち飲みやでは道にあふれてワインを飲んでいる。今はバルのスタイルの店も多く、女性も多い。皆若さと活気に溢れている。同僚、仲間、カップルと。そこに一人、巨大な手のひらの存在に無力感でいっぱいのママチャリの孤独な私。ここにいる人達は今日私が知った手のひらの、外にいる人達だ。多分、この事は問題なく固定給を貰える生活をしていれば一生知る事が無く、知る必要も無い幸せな生活を送れる人達だ。なんという対比構造だ。

 

無力感、というと気持を表す言葉では語弊があるかもしれない。正直、新たな発見の興奮もあった。自分の普段考えている理論が正しかった、という気持もある。それは同時に日本という独裁社会のシステムの人目に触れない片鱗に触れてしまった事にもなる。想定し、持論でもあったが、実際に目の当たりにすると落ち込む、というか凹んでしまう。この変な興奮を人に話したい、理解して貰えなくても共有したい、と思ったが残念、私は孤独で孤立した存在。そんな相手はいない。社会から孤立した存在だからこそ、俯瞰して見る事が出来たとも言えるが、それは違う。この手のひらに気付く人とそうでない人がいるわけで、この事はビジネスや生き方を考える上での土台として大きな違いが出てくる。

 

昨晩はあまりの事で自我がトロけてなくなりそうだった。踏み潰されるアリの気分になったというか。一晩寝てそれでも抱えきれずブログに吐き出してやっと落ち着いた。

さて、平常心を保ち、この気付きをどう活かすかを考えるとする。