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底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

酒鬼薔薇聖斗、元少年Aの手記について

単なる日記

アメリカ(ニューヨーク州)ではサムの息子法Son of Sam law)というのがあって、犯罪加害者が自らの犯罪歴を利用して稼ぐ金銭さえも、犯罪で稼いだ金とみなして、得た収入を被害者への補填とするようになっている。これは多くの州でも制定されているとのこと。

では、なぜこのような法律がアメリカで出来たのか。それは法律の名前の通り、サムの息子こと、連続殺人犯のデビット・バーコウィックに出版社が多額の契約金で手記のオファーを出した事で、「そりゃおかしいだろ」という事になり、この法律が出来たのだ。ちなみに、彼は懲役300年以上なので、出所する事はなく、つまり、シャバで金を使える事は無いにも関わらず、だ。

日本の今回の件はどうだろう。初版刷り数からすると元少年Aには1千万以上の印税が入る事は確定だ。しかも、サムの息子とは違い、彼は本名も明かさず、シャバにもいる。少年Aが当時未成年だったとい事を考慮しても、デビット・バーコウィックと比べて、犯罪加害者として恵まれている。

こんな事が許されていいのだろうか?そういう声をネットでもよく見るようになった。では日本国内でも「サムの息子法」が制定されるようなムーブメントが起きて法律が制定されるだろうか?

 

答えはNoだ。なぜなら、日本社会は社会正義を遂行しよう、という感覚自体が既に存在しないからだ。むしろ、それらは悪と考えられる事の方が多い。法律が制定される時、それは何かの利権もしくは一部の権力者の意向であって、社会正義としての調和を考えて作られたモノではない事がまかり通るのが日本社会だからだ。

 

例えば、罰金が無くてもニューヨークで喫煙場所ではほぼ誰もタバコを吸っていない。東京では罰金が無い場所の市街ではほぼ吸っている。この違いは社会の規律を考えるか、自分本位か、の違いだ。自分にも他人にも健康被害がある、と言われて査定にも響く可能性があるタバコを人前で吸わない、というニューヨーカーと、他人なんか知った事じゃない。路地に入って目立たなければいいよね?他人とすれ違おうとも、という自分本位発想の日本人。そんな日本人が元少年Aの手記に対して憤っているとしたら、根本を突き詰めると、それは様々な社会正義の相対的意見ではなく、大金を稼ぐ事に対しての妬み嫉みの人も多いのではないか?と思われる。

 

とはいえ、日本版サムの息子法が出来る可能性もある。本来、社会ムーブメント的に当たり前におかしい、という事になり、その代表である議員達が動く事であるが、それは先に述べたとおり日本ではあり得ないので、特定の権力者、もしくは法律制定によって名前を売りたい為政者が社会性ではなく、自分の売名の為に動く事があり得るからだ。これはこれで結果オーライではあるが、情けない事である。

 

私はリンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件後の市橋達也被告の報道、その後の制作物の時にも大変違和感を持っていた。その時にも日本は何て恐ろしい国になったんだ、と震えたものだ。余談だが、この強姦殺人後、逃亡という酷い犯罪行為の被害者が美人な外国人ではなく、日本人の未成年で、なおかつ、誰もが知っている有名私立に通っている女子であった場合、かなりその後の報道は変わったはずだ。なぜなら、日本人は人の命は等しいと思っておらず、重さを付ける事がある意味常識となっているからだ。

 

もし法律が制定されなかった場合。こういった手記によって稼ぐ事が日本ではOKという事になる。そうなると、聡明であるにも関わらず、生まれによって恵まれていない子供は考えるだろう。自分の家庭は貧乏で親も情けない。今後、自分も親のような底辺の人生しか待っていないだろう。ならば、法律で裁かれない年齢のうちにデカイ犯罪を犯して、その後手記を出版。そして印税をがっぽり稼ぐ、という道もあるのでは、と。何なら、実名で印税は被害者遺族に全額寄付、という形にして名を売り、テレビ出演後、講演で食べていけるかも?と。何をバカな、と思う人もいるかもしれないが、事実、名前は出せないが、芸能関係には多くの若い時にヤバイ事をした人達が表にも裏(事務所とか)にもいる。犯罪集団に手を染めて認められる事はある意味、派手な世界に生きる人になる近道になる場合もあるのだ。

 

日本の庶民の、「結局、自分達には関係無い。得が無い」という目先の判断基準で社会を変えている事への責任を負わない姿勢は今後、様々な変化を急激に引き起こしていくだろう。