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底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

新幹線のぞみでの焼身自殺第一報を受けて

規則正しい生活をしている底辺くんですが、今日は珍しく寝坊をしてしまい、そのおかげでランチが14時半になってしまった。その時にテレビから流れたニュースが新幹線内で焼身自殺があった、というものだ。一人が巻き込まれた亡くなった、との事。

 

私が思ったのは、この異常な自殺手段に「ついに日本社会はここまできたか」という事と、この自殺者はなぜこのような手段を選ばざる負えなかったか、という事。

まず、近年自殺手段が微妙に変わりつつあるのをご存知だろうか。それは山手線での自殺。本来、飛び込み自殺は中央線のように、特急系がある、スピードのなる電車に飛び込むのが常套手段だった。それがスピードの遅い山手線。これは自殺者の心理なのだが、死ぬ時ぐらいは皆(社会)の注目を浴びたいのだ。借金などで逃げる為に自殺する人は山でひっそり死ぬ。絶望等の精神が社会から断絶されてしまった場合、生きる意味が無くなり死を選ぶ事となる。しかしその中でも社会から追い込まれた、と思っている人、所謂私のような、孤立した底辺の人間は、失恋のように依存性の自殺と違って、最後ぐらいは誰かに見てもらいたい、自分という人間も貴方達と同じように人間であり、そんな自分が死を選んだのだ、という、死を持って社会に迎えられるという、異常な親和欲求が働くようになる。なので、山手線ような人目に触れる場所、有名な場所を選んで自殺をしようとするのだ。これが孤立から脱する、唯一の手段だから。

 

そして、この男性は未だかつて無い、異常な手段で自殺をした。周囲に「逃げなさい」と声をかけ、身分証を所持し、絶対に失敗しない方法で。不運にも他人を巻き込む結果となったが、その罪は別として、彼が選んだ自殺手段は社会を大いに動かす結果となった。なぜ彼はこの手段を選んだのか。私のように孤立していた人間であるのは間違いないと思う。一体彼に何があったのか。そして、今の日本社会はこういった孤立した人間を次々作り出しているのではないだろうか。テロのような宗教的信念ではなく、人間の尊厳としての自殺。人間として生を受けた者の社会への殉教。日本社会の歪みは個の人間をここまで追い込んでしまっているのだ。

 

この2つをこのニュースを聞いた時に考えた。しかし、テレビではオリンピックに向けて新幹線の安全性と再発防止策の荷物チェックや、遅延による情報ばかり。スタジオには多くのコメンテーターがいるのだが、誰もこの自殺者の事を語ろうとしない。当たり前だ。テレビの中の恵まれた社会にいる人達はこういった自殺者の事も社会背景もわからないし、考えようともしたことがないからだ。それが大学教授であっても、元有名教員であっても。そして、そういったメディアに毒された庶民は無責任にネットで相変わらず同じことを発言する。「一人で死ね」と。ほとんどの人は自らが属する社会から生まれたこの自殺者に対する責任を感じていないのだ。ネットで故人に罵詈雑言を浴びせる事がどういった社会を形成するか、何の思慮も無いのだ。

 

今後、色々情報が出てくるだろう。それに伴って中傷する人も増えるだろう。それを見ている孤立している人間は更に追い込まれる事を何も考えずに。

 

他人を巻き込んで命を奪ってしまったのは非難されるべきだ。それとは切り離して、なぜこういった事件が起きてしまったのか、今後社会学的にしっかり報道してもらいたいが・・・。まぁ、無理か。