底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

岩手の中2、松村亮君がいじめで自殺した件、誰が悪いのか

マスメディアで報道されなくなり、世間が忘れるタイミング更新。

さて、表題の件だが、一時は様々報道され、色々な事実が判明した。

・教師との交換日記にていじめがある事を告白していたが黙殺されていた事

・多くの同級生がいじめがある事実を認識していた事

・過去にいじめで不登校になった子が既にいた事

・校長は「報告無く知らなかった」と言っている事

・両親はいじめの事実を知らず、提訴も辞さないとの事

松村亮君が何度もホームで行き来してためらっている様子が見られていた事

 

関係者すべて通常運転だと思うわけで。例えば、教師が全力で取り組んで、いじめが無くなった、という事例があるだろうか。校長が企業のようにセールスフォース等を導入して完璧な情報管理の元、徹底した管理組織を作り、異変を見逃さないような事例があるだろうか。いじめを発見した時点で、クラス全員強力していじめを無くす努力をする事例があっただろうか。

 

そんなモノは無いのだ。そんな理想論で人間は生きていない。世の中に存在しない理想で人を責める事は出来ない。では、世の中の親が子供変化に気付いて、ケアしたり、子供から相談を受けるような関係を築いているだろうか。それが一般的だろうか。もしそれが真であれば、思春期に反抗期というモノが存在しなくなる。今はそういう社会になったのだろうか。そんな事も無い。

 

では、自殺を選んだ松村亮君に問題があるのだろうか。最近、「逃げろ」と学校に行かない、転校を選ぶ事を勧める人の意見がネットやマスメディアでは人気があるようだが、こういった人達は自殺を選ぶ程追い込まれている人間の気持ちも立場もわかっていない、と言わざるおえない。その逃げ場が無いから自殺を選ぶのだから。「そんな事はない。本人が思い込んでいるだけで、ちゃんと逃げ場はある。まだ若いんだから」。そんな反論も聞こえてくる。確かに、人の決断や行動を決める大きな要因は思い込みである、とも言える。ポジティブな成果を得ている人はこの思い込みが大事だったりする。では、ネガティブな成果だって思い込みの力だ。自殺する程追い込まれている人間は大人で言えばうつ病になっている人よりも酷い状態だ。うつ病は脳が自主的に麻痺する事で自分を防衛しているわけだから。そういった人達に、自称教育評論家やなんだかわからないマルチコメンテーター、作家等が言う「逃げればいい」という事で解決するだろうか。というか、していないから自殺者も減らないし、精神疾患も増えているわけだ。中学二年生の松村亮君に、大人でさえも逃げる事が出来ない現実問題を乗り越えて逃げろ、と言う事が出来る人達の存在。そういった無責任かつ、共感能力のないくせに権力はもっている大人達がいるからこそ、いじめはなくならないのだ。なので、彼にも責任はない。

 

そうなると、あとは法律の問題になり、保証とか賠償とかの話になってしまう。つまり、この件について日本社会的には誰も悪くない、という事になってしまうので、同じ事が繰り返される事となるのだ。

 

若年層のイジメによる自殺は、学校の問題ではなく日本の社会の問題として、全大人が社会に対する責任を感じて真剣に取り組んでいかないとならない問題であり、そうでなければ解決しない、減らない問題なのだ。しかし、日本ではそういう論調はまず起きないし、自分には直接関係ない社会の問題には無関心無責任が基本。なので、これからも若年層の自殺は続き、減ることはない。

 

結論。松村亮君の自殺に対して責任があるのはそんな日本社会を構成する大人全てなのだ。気持ちを持って社会に対しての責任を持つ気概を本来大人は持たないとならないのだ。

まあ、これも理想論なのだが。