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底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

モネ展の感想とその他

単なる日記

「印象、日の出」は流石に素晴らしかった。それ以外では私からは1枚のみ、心動くものがあったが、後は普通の作品ばかりだった。通常はもう2,3枚はあったりするのだが、それだけ冒頭の作品の貸出金額が高いのか、もしくは利益額を高めに設定している為に中堅どころの導入は見送ったのか。まあ、それでも1600円を払う価値はあったけど。

 

平日という事もあり、老人、実の母娘(娘の年齢は10代~50代まで様々)が多かった。何故実の親子ってわかるかって?顔がそっくりだから。老人は男性はほぼ夫婦。女性は同姓のグループも多い。老人の場合は男性グループというのは皆無。

画への集中を切らしている時、たまに老人の会話が聞こえてくる時があるが、あれだけ画の事がわからないのに、老人チケット1000円払って入場までに20分も待たされる展覧会を見に来るって、いったいどういう感覚なのだろう。もちろん、感性は肉体とは違って本人の努力次第で年齢と関係無く伸ばせるものだと思っているが、どうもそうした努力で見に来ている感じでも無い。暇な時間を潰しているような感覚なのかしら。もしかしたら、日本の多くの場所でこういった事が起きているのかもしれない。

・有名な人の作品だから

・テレビで紹介していたから

・雑誌でいい、って言っていたから

等々。

それぞれは確かに良い物があるのかもしれない。しかし、何がいいのか、どういいのか。そういった事を理解出来ずに、理解しようとする努力もしないで、ただありがたがるのは日本人が全体主義社会に染まりすぎて、個人の理想的価値の追求をする習慣が無い人が多すぎる結果なのかもしれない。個人としての欲求、美意識、価値観が希薄になりすぎているから、権威あるもの、メディアなどの公共性の高いものの価値観に自分を寄せてしまう。素直で騙されやすいといってしまえば身も蓋もないが、情報を自分でゲット出来る現代でもこういった部分は老若男女変わらない部分であり、為政者が仕掛ける全体主義に抗う術どころか、戦前と同じ、気付かないで流される社会無関心主義が日本人の本流であることは大変悲しい事だ。

 

なんてことをモネ展にいった帰りに考えてました。おかしいな。