底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

10月18日のSEALDs渋谷ハチ公前広場の街頭演説に行ってきて思う事

前提として、私は若者が政治に興味を持つことは大歓迎だし、視野の狭いスピーチ内容も別に気にならない。視野も知識も薄いのは経験の少ない若者だから当たり前だからだ。また、権力者に対して代案なき反抗も問題ないと思っている。権力者は見ている視点も持っている情報も動かせる金も違う。そんな権力者がやる事を非権力側は理論武装して論破する事は現実的に無理だからだ。しかし、Noという意思表示をする。それが弱者にとって大事な事である事は歴史が証明している。極論を言えば、利害が一致しない立場であれば、奴隷解放運動のデモでさえも代案なき反抗になる。

前置きが長くなったが、今回なんで見に行こうと思ったかというと、安保関連法案成立1ヶ月。何か変わった事があるかどうか、という部分を自分の目でチェックしたかったから。

13時半着で16時過ぎの終了までずっと見ていた。で、感じた事。

・学生のスピーチ内容は相変わらず視野の狭いモノが多かったが、ICU4年の子はよく出るワード(辺野古原発、戦争)ではなく、現代日本社会の問題を羅列するという新しい切り口で中々良かったが、ラストの締めがやはり打倒安倍政権という意味の無い主張になってしまったのが残念

・何の仕事をしているかわからない中年の男性、女性比率が高かった。1ヶ月前のデモの時のような初老も相変わらずいるが、それよりも中年。若者は場所を考えるとそんなに多くないと言ってもいいと思う

・あまり良いことではないが、中年層の外見だけで判断すると、低所得者層、もしくはある程度の収入(平均、もしくは高所得)があったとしても、狭い社会で生きているのでは?と思われるような感じの人が多かった(ファッションや髪型、体型、持ち物等で判断)。高所得層がいるかも、と思ったのは、親から継いだ不動産の家賃収入等や、株等の不労所得者で、社会から断絶、もしくは地元の同じような人達としかつるまない人もいるからだ。ただ、同じような境遇の人でも、社会や人間嫌いになって、金を人や会社(株というよりも、経営者の為に)投資している人はこういった社会的にデモには参加しない。人間社会が嫌いなのだから(親から継いだ開業医やお坊さんも同じ部類に入る)。

・中肉中背、もしくはガリガリの中年の人が同調して叫ぶ時の目がなんか怖い。

・ハチ公前交番は道案内が大変

 

野党の議員何名かが参加していてスピーチをする。もちろん、参議院選挙の為であって、日本の為でも安保関連法案反対の為でも無い。自分達が得する為だ。それは唯一この法案を止める事が出来た去年末の衆院選で野党が連合策をとらなかった事で明らかだ。まだ見識の無い若者であれば、今年になって急にデモをする気持ちはわかる。しかし、中年~老人達はおかしい。去年末しっかり争点になっていたからだ。野党の議員となれば尚更だ。こうなる事は私だって去年末にわかっていて反自民党を一所懸命に周りの人に訴えていたぐらいだからだ。こういった為政者達の行動の嘘、偽善、欺瞞がわかるのは常日頃ウォッチし続ける必要がある。

 

私はデモの先導者=リーダーであり、団体を率いて政治活動をする以上、有権者としてリベラルな目で監視する必要がある、と考えている。というのも、SEALDsというネーミング、若者と政治というキャッチーな攻め口。若者の政治参加を促す為の善意の行動、とだけ考えるのは、日本社会を知っているならば土台無理な話。やはり自己プロデュースの為のブランディングの一環である、という見方も必要であり、これで本でも出版したら益々ブランディング力が高まる、定石のやり方だなぁ、と思ってみていたら、ちゃっかり本の宣伝をしていた。このやり方は局のアナウンサーが独立する際や、有名起業を退職して個人(もしくは自分を前面に出した会社設立)で仕事をする際に行う自己プロデュースと変わらない。こういった人達がどのようにその過程で大きくなるのか。ビジネスとしてウォッチするのはマーケッターとしてもマネジメントレイヤーとしても必要な勉強だと思っている。

 

私からすれば、安保関連法案支持でネットで「中国が・・・」と言っているゲーム脳の人達も、「アベ政権許さない」というわけのわからない事を言っている人達も同じ。社会の為にどうあればいいか、常に考えているような人達とは到底思えない。しかし、それでいい。それが普通の人間。人は誰しも私利私欲にまみれているものだ。だからこそ、重要な事は見識ある善良な人が導かなければならないのだが、日本社会にはそういったリーダーが不在であり、いたとしても受け入れる土壌はない。だからこそ、非理論的かつ刹那的なリーダーの方が庶民は受け入れ易い。自分達もそうだからだ。深く考えない、考えようともしない庶民を操作するのは為政者としては容易い事だろう。

 

安保関連法案に反対している人達(若者除く)は去年末は何をしていたのだろうか。そして、野党の先生方はなぜ去年末は動かず、参議院選挙前に今になって動き出しているのだろうか。ちなみに、去年末の衆院選の大きな争点として上がっていたのは

アベノミクス効果の是非

自衛隊の職務拡大(憲法改正が必要かも?)

・景気に関係無く消費税UPの決定

だ。このうち、憲法改正、という言葉は一人歩きした感じがあった。で、どうだろうか。金融緩和だけで判断した結果、景気回復無いまま、今は新たな政策ではなく、目標が掲げられている。社会保障と税の一体化もなされないまま、税金は無断に流され続けている。そして安保関連法案が可決された。すべて有権者が選んだ結果だ。何度も言うが、若者は仕方がない。導く大人がいない社会の問題だ。しかし、大人は別だ。防げたはずのこの結果をなぜ招いてしまったのか。庶民がその検証と反省無くして前進はありえない。

 

ただ、デモ参加者を全否定する気はまったくない事を付け加えておく。なぜなら、本当に純粋な人、というのが存在するからだ。世間知らずな事が功を奏しているのか、はわからないが、「テレビで言っていたから」「有名な議員さんが言っていたら」でそのまま信じてしまう人がいる。その根底が深く言葉の意味、範囲を考えない「平和」であっても、だ。また、深く考えずに勧善懲悪な発想が出来る人達もいる。このレベルになるともはや宗教に近く、それは思想の自由でもあるし、ある意味純粋ともいえる。

要は、そういった人達や憂さ晴らしで参加しているような行動矛盾を起こしているようなご都合主義な人達、利他主義的な人達、その他色々な人達をピンポイントで操る事に長けた人達。これが日本社会の縮図であって、すべては全員が人間である限り自らの私利私欲の探求で説明が付く。あとは度合いの問題。公共性とのバランス。その絶妙感をいかにコントロールするか。そのマネジメント方法、手段。現場での観察は実に面白い。

 

街頭演説終了し、大混雑のハチ公前広場を去ろうとしている時にすれ違った若い(20代社会人)カップルの会話が面白かった。

彼女「あ、これって大学生のアレじゃない?」

彼氏「ああ~、ふ(冷笑)、こんなの、おじさんばっかりじゃん」