底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

過去の恋人との連絡や思い出=執着という風潮

大雑把に、過去の恋人に執着するのは男性であり、それは種を残すという本能のせいだとか、引きずるぐらい弱い生物で、女性はすっぱり過去の男性を忘れて次へ向かう、と世間では言われていると思う。で、過去の恋人の事を引きずる事を執着と言われるのだろう。しかし、一部のデータでは過去の恋人と連絡出来る人の方が出世している、というのもある。過去に執着する人=ダメな人、という扱いではなかったのではないか。過去をすぐ切り捨てる事が出来る人=サバサバ系のように、好意的に考えていたのではなかったのではないだろうか。

過去の恋人を考える、という時に大きく2つのパターンが存在すると思う。それは過去を引きずって、時間は経過しているのに接点がある時だけ、恋人の時だった時間に戻るパターン。もう一つは、過去は過去であり、今との時間の経過をしっかり把握しながら過去と付き合うパターン。世の中で過去の恋人に執着する、と扱われるのは主に前者のパターンなのだ。日本語はだと単純に過去の恋人の事を考える、連絡する、というだけであり、後者のパターンを考慮にいれていない。後者のパターンの場合、今の自分が過去という時の連続の積み重ねである事を意識的にしろ、無意識にしろ把握しており、反省と感謝がある。そのため、過去の恋人とは過去の事実として客観的に付き合うことが出来、そして過去の自分と今の自分との差異、足りなかった部分を補う事ができるのだ。つまり、人間的な成長がそこにはある。しかし、自分を過去に戻しまうパターンの人はそれがない。成長がないのだ。これが過去に執着する、という事だ。

これは同じく、きっぱり過去の恋人を忘れて前しか見ない、という人にも当てはまる。多くの女性が同じような恋愛で失敗する事実がこの事を明らかにしている。これは日本社会の育て方が、男性に比べて女性は自己肯定のバイアスがかかっている事による。この事によって、多くの女性は過去の恋人の間にあった是と非のうち、非を見る事が耐えられないのだ。なので、振り返らない。歴史の差異で成長しようとせず、非は自分にはなく、相手にあるという発想なので、この相手の非の部分で切り替えていこうとする。例えば、過去の男性がアルバイトであったなら、それが別れた原因であり、だから次は正社員、という風に。もちろん、それで上手くいく事もあるかもしれないが、実はまた同じような事で別れてしまい、「なんで私の恋愛ってダメになるのかしら」とか「私ってダメ男を惹きつけるのよね」となってしまう。ただ、これを繰り返していれば、いずれ表向きは条件の整った男性と結婚出来る事になるので、間違いではない。ただ、本人に身についた能力は、男性を見抜く能力と許容性だけであり、自分の人間性を成長させる事にはなっていない。もちろん、それは問題ではない。

 

過去に囚われて成長を放棄するのはまったく意味が無い。人間性を変えるのは難しい作業で、そんな事よりも体験重視で過去を切り捨てるのも一つの手段。そして、過去と向き合い、自分に足りなかった事をなんとか身につけようとする努力。過去は過去としてパッケージし、未来への糧とする。そうした活かし方もあるわけで、そうした努力をしている人達が一部のデータでは社会でも成果を出しているのだ。

 

今の自分を受け入れてくれる癒やしとして恋人や結婚を考える流れがある中では、自己肯定が主であるので、自己否定の苦痛が伴う歴史への感謝と反省のような作業を認めるわけにはいかない。なので、過去の恋人関係の話になると、すべて一言「執着」という簡単にまとめてしまう風潮が生まれてしまうのだ。

人間はそんなに簡単なものではない。簡単に分けて理解した気持ちになりたいのは、わからない事への不安ではなく、日本の場合はわかろうとしない態度の現れだ。

 

50セントの「過去に感謝」という歌詞からここまで考えてみた。