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底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

自分の存在価値について

底辺日記

私の考え。同性愛という種の保存からも開放された精神体である人間という生物単体には存在価値など無い。人間社会に置いて何かしらの価値を生み出す(それがプラスでもマイナスでも)事で初めて価値が生まれる。なので、自分には価値が無い、と嘆く人にはその言葉は同じでも置かれた環境によってかなり意味合いが変わっていくる。

 

家庭や会社で存在価値がない、と悩んでいる人は根本が間違っている。家庭や会社という社会の中で、「存在価値が無い」と思われるほど、影響力の無い存在である、という価値がここには存在している。社内の中に組み込まれているのであれば、そういった立場の人も重要であり、だからこそ結婚も出来、会社の面接だって受かって在籍し続けられるのだから。

ニートで存在価値が無い、と悩んでいる人は実家にこもっていられる時点で、親との絆があり、家族の庇護を受ける、という存在価値がある。ニートを続けられるほど親族に愛される価値がある人はそうはいない。素晴らしい事だ。

ようは、ネットであらゆる情報が手に入る事によって、一見立派に見えるような人間の情報ばかりが大量に流れ込む事によって、その「点」のみによって人間を判断するから、それらが備わっていない自分は価値が無い、と思い込んでいるだけだ。そもそも同じ人間ではない時点で、同じ経験をするわけもなく、ないもの、備わっていないもの、条件=人間の価値、と信じているからこそ起きる現象だ。社会の中に組み込まれている時点で、例え友達も1人もいない人であっても役割があるのだ。

 

問題は私のように、完全に孤立している人の無価値感だ。社会に組み込まれていないから、まさに無価値。食料を買う為に金を使う、通信費を払う、という経済的価値ぐらいしか価値を見いだせない存在。そうした人はいったいどうしたら存在価値を見いだせるのだろうか。

多くのホームレスは孤立しているようでしっかり横とのつながりを持つ事によってこの無価値感を回避している。多くは孤独ではあるが孤立はしていないのだ。では、私のように孤立している人はどうすればいいのだろうか。

ネットで一番多くひっかかるのは精神論だろう。真の孤立を知らない宗教や心理学をかじった人の精神論ほど草はえるものはない。そんなモノはなんの助けにもならない。

では、冒頭で記述したように、社会に組み込まれる事が本当は一番手っ取り早い方法ではあるのだが、中途半端な中年が入れいる社会など日本にはほとんど存在しない。ボランティアでさえ、若者歓迎!という感じで中年はお断りだ。無償の行為さえも弾かれるのが中年という存在。これが老人になると尚更、と思いきや、老人は意外と様々なコミュニティをNPO法人等が用意している。これは宗教&公共事業として予算が降りるから運営できる、という事が一番大きい。なので老人であれば一歩踏み出せば、自分の存在価値を見出す事は簡単にできる。

 

さて、孤立した中年の問題は残ってしまった。さっとネットで調べた限りだと、社会に組み込まれているからこそ、孤立感を感じている、という人はゴマンとひっかかるが、本当に孤立している人を発見した事が無い。そりゃそうだ。孤立しているからネットで発信する必要も無いのだから。認知欲求からの更なる孤立感なども一通り経験している人達だから。

こうした人達はどこに行くのか。大雑把には2つしか道はない。自らで社会を切り開くパワー(精神的、経済的、位置的)を身につけるか、もしくは自殺するか。これだけだ。そして多くが後者の道をたどっている事だろう。

私はまだ前者の道への可能性を捨てきれていない。しかし、孤立状態とは日に日に精神を殺していく。存在価値の無さを実感するのではない。文字通り、自分が自分を見て、客観的に人間としての価値を殺していってしまうのだ。そして、ますます精神が純粋になっていく事によって、心が綺麗な球体に近づくような感覚になる。そしてその球体が完全な◯になった時、弾けて自殺への道を歩みのだ。

 

とても恐ろしいがふっと心が楽になるような、そんな感覚。もうこれ以上辛い思い(何が辛いのか最早わからないほど、感覚が麻痺している)をしないでいい、開放されるんだ、という感じというか。未成年の自殺との違いはこの部分だと思う。未成年の時の自殺は結構決意がある。遺書に恨み辛みを書く。イジメ、学校、教師、親。すべての板挟みにあって逃げ場が無くなった末のエネルギーの行き場としての自殺だ。しかし、孤立中年の場合はそういったエネルギーではない。普段の食事を取るように自殺する事が出来る。日常生活の延長上で自分を殺す事が出来る。なぜなら、毎日それ以上に自分で自分を殺しているからだ。この感覚は真の孤立を知らないとわからない事だと思うし、ネットでカウンセラーを気取っている人で「わたしも昔はうつ病で・・・」という人を調べても、結局真の孤立を経験している事はほぼ無くて、社会の仕組みの中にいた人達だからこそ、現在そうやってパーソナルでやっていられるのだから。

あ、孤立状態から脱出する例外が一つある。宗教だ。精神的依存先を他人ではなく、神に求める事によって孤立状態から脱出するという手がある。アルコールや麻薬では依存先としてはいいのだが、孤立状態の改善にはならない。マインド・コントロールを甘んじて受け入れる事が出来る人には生きる手段としての選択肢となるだろう。

 

自分の存在価値に悩む真の孤立した人達にこのエントリーが読まれる事は皆無だと思うが、自殺へ向かう前の心の整理に使っていただけたら、と思う。そして、真の孤立をしていないのに存在価値に悩んでいる人達は、社会に居る限り、それが個性であり、存在価値である事を今一度認識して欲しいものだ。