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底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

フランスの同時多発テロ事件での日本人の傍観者から当事者、という嘘

Facebookではプロフィールをフランスの国旗色のする人、そこそこいる。各国ではランドマークをフランス国旗色にライトアップして、日本では東京タワー。底辺層中年が多いmixiでは、東京タワーのライトアップについて、「下手なことすると狙われるから止めた方がいい」というコメントが大半。

自己の幻想社会で生きる、mixiに住人っぽい発言である意味正常運転ではあるのだが、では、facebooktwitter等でプロフィール画像を変える人達はどうだろうか。レディー・ガガも変えていたが、彼女は普段から発言力のある立場として、様々な社会の問題に対して発言もし、行動している。だから今回も当然だ。しかし、日本人では普段は結構高みから社会を見下ろしているような人達が急に反応しているのを見かける。この現象について、同じような高みの立場の人がこういった表現をしていた。

 

「テロに関しては今まで日本は傍観者の立場だった。しかし、安保関連法案成立で集団的自衛権を海外で行使する日本も今後テロの標的になるかもしれないという当事者意識が暴力への恐怖を呼び、プロフィールの色を変えるという連帯意識を生んだ」

 

もちろん、単純な哀悼の意の人もいるだろうし、「テロ、許すまじ!」という理想社会正義論の人もいると思うが、今回はこの傍観者から当事者、という日本人の問題について解説したい。

 

日本人は社会に対して、驚くほど当事者意識が無い国民だ。第二次大戦中に満州に行った出稼ぎの人も日本の敗戦色が濃くなって撤退になった際に「ああ、戦争していたんだ」と思った、という。つまり、家族を兵隊に取られていないかぎり、多くの日本人は戦争を意識していなかった、というのが現実だった、というのだ。何故このような国民性が生まれたか、というと、日本は民主主義の皮をかぶった、既得権益を貪り食う支配階級による階層社会だからだ。ヒエラルキーが分かれているため、社会を考えるよりもまず自分達の事を考える、という癖がついているのだ。

 

さて、現代。本来底辺層であるmixi住人もFacebookのアッパー階級も、傍観者から当事者、という意識が生まれた人達が生まれた、というのは今回がまさに階層を超えた危機である、という証拠だろう。果たして、彼らの感じる「傍観者」「当事者」とは一体何なのであろうか。答えは簡単。傍観はテロは日本国外の話であり、当事者は、もしかしたら日本国内でテロが起きるかも、自分も巻き込まれるかも、という恐怖の意識と自己防衛反応だ。テロ、という直接的行動に対する反応にすぎない。しかし、テロとは社会が生むものであり、直接行為だけを論じるものではない事はそれなりのアッパーな方達はわかっているはずだ。つまり、Facebook住人達がmixi住人達と表現は違えど、同じような発想をするはずがないのだ。しかし、今回、この当事者という部分に限って言えば同じ人達がいた。何故だろうか。

 

それは、先に述べた通り、どのヒエラルキーの人でも常日頃社会に対して傍観者である人達が多いからだ。例えば、子供は社会のマナーを平気で破る。それは子供だから。しかし、東京では大人も子供とほぼ同じようにマナーを破る人が多い。それは他人の迷惑など関係ないと考えている人多いからだ。「赤信号皆で渡れば怖くない」という考え方は子供向けの話ではなく、大人のこうした行為、多くの他人が悪の行動をしていれば、自分も悪に染まってもいい、という考え方が根底になる。その裏が、「正直モノはバカを見る」だろう。なので自分達の階層より下の人を見下し、バカにする。底辺層ネット住民の生活保護受給者への攻撃などはまさにそれ。駅前にスーパーがあれば近くに有料駐輪場があっても、そこに自転車を置いて出勤し、年収で日本の5%に入る上位の人でも裏道に入ったら歩きタバコをする。どのヒエラルキーの人達も同じ。自分が社会を構成している一員である意識が薄いのだ。まさにずっと社会に対する傍観者なのだ。日本社会を良くしよう、まずは目の前、自分の行為を大人として律しよう。そうした大人を私はほとんど見たことが無い。

 

なので、日本で起きているテロにも無関心だ。日本でもテロは度々起きている。それは若者、中年の無差別殺人だ。共通しているのが人生に悲観し、相手は誰でもよかった、という事。これが今の日本のテロだ。社会に対して傍観者を決め込み、大人達が好き勝手やっている結果だ。前のエントリーでも言及したが、この傍観者意識はどのヒエラルキーの人達にも当てはまるので、結果日本人テロリストにも当てはまってしまい、結局起こす行動は無差別で数人を殺傷するレベルになっている。しかし、人間に100%は当てはまらない。人生に悲観した人がその原因を追求し、矛先を社会全体に向けたら。そして、そのイデオロギーを支える宗教団体や組織があったとしたら。日本国内から世界で言うレベルのテロリストはあっという間に生まれる。しかし、そこは支配階級の独裁社会日本。そういった人達をヤクザ界や右翼、新興宗教団体等がしっかり受け皿として働くシステムも出来上がっており、未然に社会に対する反抗団体を抑える事に成功している。ここが社会システムとして上手い所ではある。もちろん、その反動として個人的テロや庶民に対する多少の不具合は生じるが。

 

以上の通り、そもそも社会に対して当事者である大人が普段から傍観者である事がそもそも異常で、しかしそれで成り立つのが日本という特異な社会である。今回急にネットのみで発言行動している当事者意識の人達は「どんな事があっても暴力はいけない」という理論を唱える人の論理展開に似ている。この発言をする人に限って、性根の悪い人が多い。というもの、様々な知略で人を落とし込め、反撃出来ないように社会的に抹殺しても、暴力行為によって仕返しされては困るからだ。中には単純に暴力はいけない、という、暴力の定義も深く考えずに言う、理想社会のお花畑さんもいるが。暴力以外は何をやってもいい。それを許可されたら自分が報復される。まさに当事者の発想。国際的なテロで多くの人が亡くなっても、戦争が起きようが、いつまでたっても自分。自分だけが可愛い。

 

今回のFacebookmixiSNSでの発言行動はまさに日本人そのものだなぁ、と感じたのであった。