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底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

清原和博が覚醒剤所持の疑いで現行犯逮捕されたが

彼を責める事が出来る人間がどれだけいるのだろうか。私は彼の気持ちがわかる、というわけではないが、覚醒剤に手を出したくなる気持ちはよくわかる。

 

人は常に何かに依存している。大きく言えばそれは社会であり、社会の最小単位は家族である。社会人になって仕事が軌道にのると心の支えが欲しくなり、結婚。結婚に飽きる前に子供。暇ができたら趣味を充実。その趣味もいずれチャレンジに変わる。そうやって人は気持ちのやり場、依存先を常に探しているのだ。淡々と何にも依存せずに生きている人はそれこそ仙人であり、通常社会で生きていく事など出来ない。だから彼らは山に籠もるのだ。

 

まず、結婚という難しさ。人は他人をいわば合計10点で決めている、とも言える。問題はその点数の比重。学生の頃から付き合っている人達の結婚が多いのは、例えば「外見6、性格3、自分が定めた適齢年齢1」と要素が少ない事に起因している。しかし、社会人になるとどうだろうか。人よっては「金7、外見1、立場2」という人だっている。いわば金の切れ目が縁の切れ目だ。しかし、パートナー側はどうだろうか。「外見5、自分への優しさ5」という人だっている。そしてそれが相手もほぼおなじだと思って結婚する。しかし、歳をとって金も外見も立場もゼロになったらどうか。離婚だ。いやいや、愛があるだろ?という人がたまにいる。そういう人は人間をわかっていなさすぎる。それでも離婚しない人は最初から「1人の寂しさが嫌3、新たにパートナーを探せる程自分に自信も行動力のないし、その気もない3、まあ楽ではある2、情があると勘違い(思い込ませ)2」といった所か。はなから点数配分が違うのだ。

 

では、有名スポーツ選手の場合はどうか。多くが個人的に商品になれる程の外見を持ち、社交的かつビジネスパートナーも多く、子供を引き取れば家族もいる。自立出来るのだ。世間の情愛という逃げ道、依存先など自分で選択出来るのだ。しかし、スポーツ選手側はどうだろうか。私はメジャーで活躍した伊良部秀輝の自殺を思い出す。野球しかしていなかったのだ。人間としての教養を磨く時間も無かったかもしれないし、教えてくれる人もいなかったのかもしれない。離婚されて、周囲からもはじかれて。アル中になり、自殺。ワルガキと呼ばれる人ほど、人恋しいものだ。孤独にたえる事は出来なかったのだろう。清原の場合はどうか。彼も金の切れ目で離婚。失意の中、アル中に。しかし、仕事への復帰の為に手を差し伸べてくれる人達も芸能界にいた。しかし彼らは忙しいし、清原自身もプライドがある。酒を控えなければならない。酩酊依存の怖さは体験した事がないとわからないだろう。しかし、そうなると依存先が無くなる。ともかく、人生が転落した時に支えてくれると思っていた家族がいなくなるという事は、自己の否定、人間性の否定と同じであり、その現実を容易に受け入れる事は通常難しい。そんな自己否定と心のスキマを埋めたい時、平日でも時間があって彼の側に近寄る人達とは、忙しい芸能人やビジネスマンでは難しい。そうなるとパイプとなるフィクサー系の方達になりがち。酒に依存出来ない中、短時間で楽になれる方法があったら・・・。

 

孤独に苛まれ、自己否定の中で酒に依存すると、外で飲むと暴れて事件になるし、家で1人飲みをすると勢いで自殺するのではないか、という恐怖が湧いてくる。それほど孤独、孤立とは心を蝕んでくる。私がすべてを経験しているからわかるのだ。しかし彼らは有名人なだけに、ネットで他人を誹謗中傷して憂さ晴らしするような低俗な事は出来ない(まあ、そんな事で晴れる憂さではない)。逃げ場が無いのだ。覚せい剤は法律違反というだけだ。捕まらない人で日常生活を送れている人達だって多い。清原は自殺しなかった。それを覚せい剤が止めてくれた、と私はおもっている。違法ではあるが、逃げ場があったのだ。

 

では、庶民が同じような立場になった場合、どうしたらいいのだろうか。同じような立場にはほぼならない。なぜなら逃げ場があるからだ。しかし、逃げ場が無い人は。自殺するしかないのだろうか。

 

それでも、一般人の依存の連鎖から外れてしまったら。年齢を金で補える、外見で補えるようなバリューを持っている一般人がその連鎖から外れる事は無いので、一度外れると再度のその連鎖に入るにはかなりの妥協が必要になる。例えば相手を探す時に「恋愛対象の性別5、自分を好きになってくれる人3、年齢1、外見0.5、性格0.5」と、寂しさを埋める為に条件を妥協する、という判断をしてしまう。それはそれで新たな依存先の人も同じ価値観レベルだったりするので、見つかってまた円環に戻れればいいのだが、それが出来ない人の場合は孤独に耐える訓練が必要になる。老人になってからはその訓練は難しい。出来る限り若い方がいいだろう。

 

何も依存の輪廻が悪いわけではなく、それが人間という生物の社会の理。ただ、中年になって何も無くなってからその輪から唐突に外される、もしくはいつの間にかその輪から外れたまま中年になってしまった人達。そういった層はこれからもますます増えていく。有効求人倍率が高くなっても職が決まらない人が多いのと同じだ。より優秀なバリューを相手に与えられる人でないと輪に残っていけない。大好きな相手と貧乏な我慢生活でも幸せと言っていても、まだ若いうちに金持ちに今まで経験した事の無い世界のあらゆる体験をさせてもらって求婚されたらコロっとなるもんだ。逆に、一方が若いうちに大成功して金持ちになったら、同じ生活形態なら外見が優れている方に鞍替えも起きる。「若さ」というのがポイントでもある。この部分は日本特有でもあり、年齢差別が根強すぎる部分でもあり、それが更に人を追い込む。

 

多くの庶民がいつだって清原のような立場に陥る可能性はあるのだ。今回の事件は覚せい剤の問題ではない。孤独と孤立、自己否定と再起の難しさ。そして自殺。多くの結婚していない中年が抱える問題なのだ。多分、社会の依存システムの円環の中心にいるマスメディア出演者や公人はここまでわからないだろう。「誰か救ってあげなかったのかねぇ」ぐらいの他人事発言が最大の優しさ。人間の付き合いとは?という社会哲学にまで発展する問題である事を是非知って欲しい。