底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

他人の不倫になぜそこまで目くじらを立てられるのか、の不思議

世間が炎上し、マスメディアでも批判が当たり前、という感じになった近年の不倫騒動でいうと、矢口真里ベッキー、そして宮崎謙介議員だろう。

 

不倫は違法ではない。日本ではなぜか大人同士の当人が自由意志で離婚がなかなか出来ない中、不倫(他者との姦通)は離婚事由になりえる、と民法に定められているだけだ。つまり、結婚している大人同士の日常の話であり、私からすればそれが食事の趣味があわなくてケンカする事となんら変わらない、私にはまったく関係の無い他人の家庭の話。しかし、なぜか上記の3例では異常に世間が盛り上がった。これがアメリカのように宗教による貞操観念があったり、韓国等の姦通罪がある国であればまだわかるのだが、日本ではソープランドのような合法姦通ショップがあるわけで、民法で定義されている他者との姦通はお金で誰でも出来る事。ではなぜここまで炎上する事になったのだろうか。大きく理由をわけてみる。

 

1:単純に不倫許すまじ

不倫=悪、という道徳観の社会であればわかるのだが、日本ではそういった道徳観はソープランドがある時点で存在しない。その証拠に、芸人等は以前までは浮気をネタにしていたし、山本モナのように、なぜか女性だけが叩かれる、という事もあり、不倫で炎上する場合は社会的な道徳観というよりも、自分が気に食わない公人を叩きたい、もしくは自分の考えと合わない調子に乗った奴を叩きたい、という私刑に近い理論だと思う。

 

2:奥さんがかわいそう、家族がかわいそう

日本は目の前の人間を困らせる事を何とも思わない民度の国だ。一番低レベルの事例で上げると、車であればウィンカーをぎりぎりまで出さず、スーパーではたった1日の賞味期限の違いで陳列をグチャグチャにし、駅前に違法駐輪、歩きタバコは当たり前。犬の散歩はロングリードですれ違う人間の方が避けなければならない。パワハラセクハラもそうだ。目の前の他人に迷惑をかける事など、自分達の行い、幸福の為にはまったく関係ない、無視。そうした民度の社会が当たり前になっているのが日本という社会のはず。なのに、見たことも無い他人の家庭の、心配を本気でする人達が本当にこれだけいるのだろうか。もし、それが本当であれば日本の社会はここまで腐っていないはずだ。目の前の他人にもう少し敬意を払える社会になっているはずだ。つまり、これも私刑の為のもっともらしい理由をでっち上げただけに聞こえる。

 

3:スポンサー等周囲に迷惑をかけるな

これこそ何様なのだ、という感じだ。何処まで業界の事を知っているのだろうか。私の知る限り、業界の深淵というか、そもそも発信側に携わっている人間はこんな事で炎上させるような発言はしない(金をもらってコメントしている輩は別)。であれば、何を業界人ぶって語っているのだろうか。報道の事由が韓国よりも低く、戦後処理も責任も負わなかった新聞社がクロスオーナーとしてマスメディアを牛耳っている日本で、発表の字面だけを捉えてビジネスを考えるような頭の悪い人間が本当に炎上させるだけいるのだろうか。しかし、これはそれだけ存在しているような実感はある。ただ、この層の大衆の不思議は、自分が気に食わないマスメディアの発表に関しては平気で「マスゴミの捏造」と叩く事だ。つまり、これも私刑の為の理由付けでしかない。

 

結論。つまり自分の人生にまったく関係のない他人の家庭の問題に首を突っ込んで、自分の信念、生き方、身の振り方を鑑みず、誹謗中傷するという行為は、それこそ大衆の証であり、大衆という層の人間たるパラドックなのだ。こうした精神と行動の矛盾は誰にでもあり、そこを突く事にあまり意味はない。ただ、より上層の人達にはこういった矛盾が少なく見えるのは、別の部分で(ビジネス等)により脳を使っており、そこにこの矛盾力を発揮しているだけで、大衆が揺さぶられるようなどうでもいい事には一本筋が通っている事が多いのだ。それは限られた思考量の「効率化」である。矛盾量としては同じぐらいなのだが、大衆に見える部分が自分達と同じ問題の部分だけだったりするので、上層の人間の発言には芯が通っているように感じ(実際は思考の効率化なのだが)、リーダー的存在に惹かれ、憧れ、騙されてしまうのだ。

 

まあ、それはいいとして、日本の大衆はますますバカになっているのは、他に考える事が少ないからであり、それは異常なまでに課金ゲームが流行っている事にも繋がっている、と感じざる負えない。