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底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

広島中3生徒が万引き誤認で自殺した件での世間の反応の違和感

この件は学校側の記録ミスと教諭のずさんな指導ばかり取り出されているが、その背景には触法行為(従来は3年生だったが、中1まで遡るように最近変更。事件後にまた3年生のみに)をした生徒は推薦しない、という基準がある。とはいえ、実際に万引きをした事がある子でも推薦を受けていた事実が発覚し、学校側のおかしな対応が問われて当然だと思うが、まあ、人間とはそういうモノであり、そこは学校という閉鎖された空間では尚更人間性がモノを言い、先生=人間性が備わっている、というのは願望であり、もはやファンタジーであるので、今回はそこの話ではない。

 

気になるのは、もし実際に過去に万引きをしていて推薦取り消しとなり、自殺をしなかった場合である。ここまで報道されただろうか。いや、そういう子は全国に多くいるに違いない。

少子化が進む中、私の時代とは推薦の厳しさは雲泥の差だろう。それでもそこそこの評定平均が必要なのは間違いない。つまりそれなりに勉強が必要である。ここで偏差値基準という問題と、学校名による将来性の有無等の問題という、日本の巨大な闇レールについては今回は置いていおいて、今回の事件でピンポイントで気になったのは「万引き」という触法行為の責任が誰にあるのか、という事。中学生は未成年であり、だからこそ少年法もある。そんな子供が学校外で行った責任は誰にあるのだろうか。すべて家庭の責任だろうか。学校にも責任は無いのだろうか。いや、彼を取り巻く日本の社会の責任はどうだろうか。様々な新しい価値観に影響を受け、自分という軸がブレ始める。それが個人差はあるが中学生という時期であり、そんな時の悩み、葛藤を中二病という言葉で表すようになったのはかなり昔の事だ。

 

そんな成長過程での万引き。その責任を中3の生徒にすべて負わせて彼が想定する未来を大人が潰すという行為に正義はあるのだろうか。その事によってその生徒の人生が良くなるのだろうか。大人が考える子供の教育とは一体何なのだろうか。今回の事件に対する世間の反応の違和感はここにある。学校、教師とは世間の価値観の鏡であるとも言えるのだ。世間に悪評にならないような教育方針、中身を遂行し、自分達の仕事を守るのが教育者側であり、決して聖職者ではない。つまり、触法行為をした生徒=推薦に値しない子供、と決定付けるにはそれなりにこの学校の取り巻く社会環境が後押しをしているのだ。今の時代、集団で万引きをして店を潰したり、万引き品をネットで売ったりする中学生だっている。そんな子供は許すまじ、という声もわかる。

 

それでも、だ。子供を育てるのは親や学校だけではない。社会にも大きな責任があるという事をそれを構成する人達は忘れて、そのツケを子供にだけ負わせていないだろうか。私が中学生の時に当時人気だった長渕剛が主演のドラマでタバコを吸って投げ捨てるシーンが頻繁にあった。多くのちょいヤンキーの友人が真似をしてタバコを吸い始めた。果たして、中学生のその友人にだけその触法行為の責任があるのだろうか。

 

土地柄、犯罪行為に断固対決姿勢を取る学校側はそれなりに地域住民からの要望と支持があったのかもしれない。日本は階級社会である事で上流の人達は自己顕示欲を満たせていた。それによって、多くの平民が生まれた。しかし、戦後の世代交代が進む事によって階級の維持が難しくなり、階級+金が必要になった。そして自民党が考えたのは金を絞りとる政策であった。その事で平民は減り、格差が広がった。それにより弱いモノは更に弱いモノを叩いてOKという暗黙の了解が社会全体にはびこっている。やったもん勝ち。バレなきゃいい。真面目でいる価値はない。結局要領よくやった方がいい。なぜそうなるのか。それは階級社会の維持思考の為に、一端レールをはずれたりした人間に再起を許さないシステムと、同じく再起を許さない大衆心理がある。ここがアメリカなどの諸外先進国と違う所。再起の努力をする人間性、その努力を評価するのが人間への接し方としては本来より上位なやり方だ。日本は画一にふるいにかけ、再起を許さない。我々が構成員であるそんな社会で、子供達は何を思い、どんな行動をするのだろうか。その責任を子供にだけ、学校にだけ押し付ける。そんな行為さえ、子供は見ているのだ。

 

この事件を学校、教師の問題だけに集約させるのは、社会を構成する人間としての責任を放棄しているとしか思えないのだ。日本社会はこのままでいいのか。マジョリティーとしての社会に影響が無ければ、目の前の他人を尊重しない社会の風潮のままで本当にいいのか。社会へのバタフライ・エフェクトとしての想像力を欠いてはいないか。レールから一度外れる事が決定しただけで自殺する子供が近年何人もいる社会を作ってしまった事の責任は社会の構成員が全員が負うべきだ。

 

子供が未来を信じる事が出来る、そういう社会を作ってあげたいものだ。