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底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

秋元康の歌詞はファンの年齢と共に進化している

芸能

AKBが一般的に大ブレークのきっかけとなったのが、「RIVER」という曲だ。当時まだ秋葉原のミニスカ軍団と呼ばれることもあったAKBと48が井上ヨシマサのアイドルらしかぬ曲調にのせて歌った歌詞が「川を渡れ!You Can Do It!」だった。ITバブルも終わり、失われた時代とまで言われた当時の停滞した経済、社会の中で、秋元康の歌詞が元気(?そんな簡単な言葉ではない。適当な言葉が浮かばない)を無くした人達の心に響いた。自分達だって何か出来るんじゃないか。そんな勇気をもらったとも言える。そして、「RIVER新規」と呼ばれるファンが爆発的に増え、一気にメジャー街道を登っていった。

 

そして時代は過ぎ。バブルのような金がトリクルダウンでまわるのでははなく、ガチャ等の課金ゲームといった、中下層の人達から金を巻き上げるビジネスモデルによるIT時代が訪れ、上層の人達はそれによって安定を得る社会になった。「RIVER」で背中を押された人達で経済的に成功している人達も多いだろう。会社でもマネジメントレイヤーにプロモーションしている人も多いかもしれない。「RIVER」の頃と違うのは報道の自由が更になくなり、社会が閉鎖的になっている事だ。そしてその閉鎖的社会のシステムは失敗した人達は再起が出来ないという日本社会を象徴でもある。逆に言えば、一度上層に入る事ができたら安寧維持に勤める事が得策であり、「RIVER」で言っていた挑戦などは必要ない人達が増え、敗者はほぼ二度上がる事が出来ない格差社会がいよいよ本格的になった。そんな時、「ここがロドスだ、ここで跳べ!」が発売された。歌詞的には「RIVER」に近いのだが、タイトルは真逆だ。「川を渡れ!」というのは目の前の川で躊躇している事。しかり、「ここがロドスだ」と言われる人の場合は、目の前の川で躊躇したのではなく、「川は渡ったんだよね~、でも何も無かったし~」という、ネット社会で検索した情報、メディア発信の情報を信じて、自らは行動して現場にいて感じる事の無い人だ。これはスマホ社会でいつでもネットに繋がっている人の層にかなり近い。残念な事にこの曲はシングルカットではなくアルバムタイトルだった。しかし、私はこのタイトルは「RIVER」に続く強いメッセージだと思った。

 

そして、高橋みなみを送り出すかのようにメジャー卒業生を集めた「君はメロディー」が発売された。彼女のAKBでの時代の流れはそのままファンやそれ意外の人達も同じ時間軸だ。その中で自らを成功者、と呼べる人達はどれくらいいるだろうか。もちろん、幸福論は相対的なものではなく、絶対的な方がストレスは溜まる事はない。しかし、その価値観自体が夢を持たない、高望みはしないという、中庸までいかない、自らを押し殺すながらの自らの分を知るような、というか、諦めを現実として受け入れるような、いい子になっているというか。そんな感じだから「自分の事が好き。健康で普通に生きいるからね」と公言出来る人の多さたるや。もちろん、何も悪い事ではないが、そういう人に限っていうと東京に住み、アラフォーでも独身でパートナーいなかったりする。東京に住む中年の50%を超える人達だ。それは本当に望んだ幸せなのだろうか。幸せである、と思い込みたいだけではないだろうか。その方が現実が辛くないから。そんな時、「君はメロディー」の歌詞は過去を見せる。あなたが望もうが望まないが、過去があるから今のアナタがあるのよ、と。嫌な事だってある。でも嬉しかった事もある。そんな記憶の断片からだって、今のアナタは形成されているのよ、と。PVは蜷川実花で過去のPVのオマージュのようになってしまっているが、実際に歌う時のAKBのパフォーマンスは卒業メンバーが今のメンバーを何度も抱きしめる振り付けがある。逆もそうだ。そして、最後には過去(前田敦子)と今(横山由依)がお互いに肩を抱き合う。過去の自分と今の自分と。人生はつながっていて一つのメロディーのようになる瞬間だ。そう、これは二度と浮き上がる事が出来ないと思い込んでいる日本社会の91%ほどを構成する庶民達に、自己肯定を促しているのではないだろうか。

 

このままでいいわけがない。でも現実は変えられないし、社会も変えられない。そんな諦めがムードではなく、当たり前になったある意味スマートな考え方の現代では何が正しいのかわからない。その反動として、デモをする若者が増えたりする。しかしそれらは社会の反動レベルであって、やはり現実は変わらない。つまり、情報過多の社会の渦のなかで、自らの極小化が進んでいるからこそ、今の現実で満足、という事になってしまうのだ。人間がそんなちっぽけなわけがないのだ。確かに教養の差というのは如実にある。高橋みなみのAKBでの人生と同じくらい色々経験した人などほぼいないだろう。年齢も関係ない。何も考えず流されるだけの人生で成長もしていない人もいるだろう。それでも、だ。そんな人だって例えば子供の頃に初めてブランコにのった時の感動はあっただろう。初恋もそうだ。つまりその感覚がその人そのものであり、「歳だから」「今の立場じゃ」「こんなご時世だから」と今の現実で無くして(手放して)しまった感覚は過去にはしっかりあり、それらが記憶として紡ぐ事で自分が形成されているのだ。

 

私は出来るだけ過去を見ない事が未来へ新しい挑戦をする力になる、と信じていた部分がある。その後過去があって今の自分がある、というすべての経験への感謝の気持ちを理解する事が出来たのだが、それでも今の現実が辛い以上、やはり過去を振り返る事を躊躇し、心の中ではむしろ否定していた部分がある。「君はメロディー」を聞いて再度感謝の気持ちを持つことが出来るようになった自分の過去経験をしっかりメロディーとして、未来へ紡いでいきたいなぁ、と思った。