底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

舛添氏へのマスメディアの異常な叩き方と庶民の反応のヤバさ

ちょうど体調を崩して休んでいたので、普段あまり見ないテレビを付けたら舛添氏の連日の報道が流れていて、それでかなり昔、麻生太郎氏が総理になった時、マスメディアが連日のように叩き、ついには言葉の間違いまで取り上げて吊し上げ、それを「総理の資格」的なわけのわからない批判を繰り返していた事を思い出した。あまりにも内容がくだらなく、全キー局が同時に同じ内容。それもたかが数百万の経費流用だ。もちろん、額の問題ではない、という主張もわかる。しかし違法ではない以上、叩く所はこのザル法である政治資金規正法の方であり、その他にも文書通信交通滞在費や企業献金の禁止を受けてスタートした政党助成金が、企業献金がOKになっても交付され続けている問題等、政治と金にまつわる長年の問題がある。そんな積年の問題がある中で、都知事という莫大な予算のトップである人がファーストクラス?スイートルーム?千葉のホテル?正直都民の私からすればどうでもいいのだ。これぐらいの額、前述の問題からすれば微々たる問題だ。正直税金なだけに法律に抵触していなくても額と使用方法の問題には背中を刺されないように気をつける必要はある。舛添氏はしっかり領収書を添付していたし、額も小さいので問題にならないと思っていたのだろう。ここが政治の世界としては脇が甘かったと言わざる負えない部分はある。知名度があり権力のある政治家になった以上、深夜の誰もいない市街地の道路の歩行横断でさえも赤信号無視が出来ない。政治家とはいつ誰が敵になって背中から刺してくるかわからない。だから任期中はそれなりに気を付ける必要がある。そういう意味では舛添氏は石原都知事等に比べたら十分注意していた部類に入るだろう。それでも過去の麻生叩きのような例があるのを考えるとやはりオリンピックという巨大利権が発生する前には完璧にするべきだったと思う。

例えばハニートラップというのがあるように、こういった経費でもトラップがある。大会社の部長クラスでもそうだが、自分で海外出張の予約を取るような事はない。すべて周りが手配する。自分ではビジネスクラスだと思っていたのに空港にいったらファーストクラスでびっくり。自らキャンセルしようにもすでにビジネスは満席。仕方なくファーストで、という事も。これは近い将来、その対象を蹴落とす為の武器としてとっておく。そういう未来時限爆弾トラップも政治家は仕掛けられる。

いやいや、経費で個人流用していたでしょ、という人もいる。安い美術品や本ぐらいだ。私が住んでいる杉並区の戸建て住宅の車庫にどれだけ品川ナンバーの外車があるか。会計上社用車扱いだが個人使用の車だ。これが所謂経費の個人流用だ。その額たるや。それに比べたら予算内で少額の買い物をするぐらい別にどうって事ない。というのも、政治家とは清廉潔白な人間を選出する事ではなく、何を実行できるか、で判断するべきだからだ。

 

なので政治家が犯罪を犯す等、余程の事ではない限り、政治力のジャッジで辞任させないとならなくて、そうでないと何も実行しない政治家の方が優位になってしまう。所謂衆愚政治であってもいい、という事になってしまう。だからこそ今回の舛添氏のような例で辞任などありえないわけで、都民としてはこんな事での辞任の前例などは作りたくない、と思っていた。そう思っていた都民は今回の辞任にあたって私1人ではなく、大手有名企業、外資系企業の知人達もそう思っていた事をFacebookで知った。

 

ではなぜ辞任にまでなってしまったのだろうか。それは大衆の問題だ。これは2chよりもさらに質の悪いmixi等のニュースコメントを見るとよくわかる。一様にテレビが発するのと同じ批判を連日のように繰り返していた。彼らの問題は自分達が同じ仮面を付けて、見たくないものは見ない、考えない、学ばない、という点。物事を点でしか判断しようとしない彼らはテレビが一番陽動しやすい存在であり、グルメ、健康、音楽、ファッション。なんでもすぐ飛びつく。テレビを見ない若者はそうではない、という意見がある。実はそうでもない。なぜなら彼らが見るネットニュースがテレビを元に作成されているからだ。なのでチョイスする主体が発信する側のテレビか、クリックする本人か、の違いだけでソースが同じなら同じ思想になる。それが時に今回のように政治に利用されると圧倒的な力を発揮する。

 

どのキー局、MXテレビでさえ舛添氏の問題を取り上げていた時、「街の声は」という一般人を取り上げたインタビューで批判的な人だけを流していた。そんな事がありえるだろうか。私の周りでさえも多種多様な考え方ある人がいるのに、マスメディアといわれる取材陣が全員同じ意見の人ばかりになる、という事がありえるのだろうか。ナチスドイツ時代に匿名顔モザイクで取材した場合、すべてのドイツ人が「ユダヤ人は全員悪でしょ」とは言わなかっただろう。なぜなら集団洗脳でない限り、すべての人間が同じ考えである事はありえないからだ。特に東京都はその人の働いている環境、教養が多種多様である国際都市。私のような考えかの人だって少なくない。なのに未だにスマホゲームに課金して時間を潰してオワコンmixiで悪口を書くような属性の人だけの意見を公共の電波で抽出して流す。その時点で「これおかしいな?」と思うべきなのであるが、面白いのはこの属性の人たちはこれだけマスメディアに陽動されて置きながら、頻繁に「マスゴミ」という用語でテレビを批判する事も多い、信念も筋も通っていない人達。すっかりマスゴミに利用されちゃってわけのわからない、自らの生き方、信念とも関係ない、皆と同じ「正義」の仮面を被って中身も問題解決性も無い批判を繰り返すのだ。そして辞任になった途端、役目を果たしたとばかり静かになる。中には自分はその中の人達とは違うんだとばかり、「政治と金の問題を国会議員にまで広げないテレビはやはりマスゴミだ」的は発言をして更に仮面を二重にする。そして自らの存在欲求が満たされたら、本当の問題などは見ようともしない。仮にうっすら見えたとしても「俺たちじゃどうしようもないし」「世の中そんなもんだし」と急に無力無関心になる。

 

この層の人達が所謂日本の大衆である事はかなり問題でもある。「電通許せねぇ!」「国立競技場の建て替える費用があったら・・・」的な事は言うくせに、「東京オリンピックは楽しみ」という自らの矛盾性などどうでもいいのだ。東京オリンピックに反対していた人達は選手たちの夢等を天秤にかけても既得権益層の税金の無駄使いが許せないという部分で一貫していた。消費税が5%からUPする時にもそれが目的税ですべて社会保障に使われる、という一部のマスメディアの情報を鵜呑みにして、「未来の子供の達の為に」などと言ってせっかくの消費税UPを阻止する選挙をまんまとお自民党に勝たせる。しかし管轄が財務省であることを考えればそれがマジックである事は容易に気付くし、一部マスメディアが「未来の子供達に負の遺産を」的なプロパガンダ一色だった時点で「これはおかしい・・・」と気付くリテラシーがあるのが当然なのだが、まあ、100歩譲ってそれが気付かなかったとしても自らの責任で消費税がUPとなったのだ。今だに税の一体化改革がなされていないのに、8%か10%か、という議論など出来るわけもない。しかしその部分はもう見ない。見ようともしない。責任も感じない。悪いのはマスゴミであり、政治家だ(こういった人達は何事もミンスのせい、と言う人も多い)。

そんな大衆は情報リテラシーが向上するわけがない。なぜなら本人達が望んでいないからだ。リテラシーが高い人はそういう生活を送ってきたから結果的に高いだけであって、低い人が向上するには生活や意識を変えて教養を積んでいくしか道は本来はない。しかし生活をガラッと変える(環境を変える)というのは現実的にはかなり難しい。そんな環境のレベル向上(金の事ではない)無しにリテラシー向上を目指すような人達の行動はリテラシー向上ではなく、「自分はちゃんと日本の事を考えている、大衆とは違うんだ」という差別意識であり、その承認欲求を満たしたいが為にツイッターでせっせと毎日ニュース番組に書き込んで参加してみたりする。

 

時代は変われど、マスメディアに左右され、物凄いくだらない事で政治家を辞任させるまで追い込む大衆の怖さ。それは戦中の日本と変わらない。マスメディアがこの時代だからこそほんわか仮想敵国報道で陽動しているけど、これが本気になった場合どうなるのだろう。憲法改正云々の前に無責任無関心な国民の問題をどうにかする事の方を先にしないと、さすがにそろそろやばいなぁ、と舛添氏の一連で思ったのであった。