底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

日本の少子化について(全体概要)

私は団塊ジュニアの世代であり、ベビーブーム世代だ。バブルを知らない、ずっと競争。会社ではバブルを経験して仕事をしない(出来ない)人達の尻ぬぐい。そんな私でも中学生の時の授業で鮮明に覚えているのは少子高齢化社会が将来に訪れるという事。そして大学生の時に20歳以上から年金徴収がスタート(それまでは社会人のみだった)したことで少子高齢化と世代間格差を肌身に感じてきた。

しかし、政治家達は少子高齢化が来る事がわかっていたのに何も手を打つ事はしなかった。私達第二次ベビーブーム世代が安心して子供を生み育てる政策を考える時間などたっぷりあったにもかかわらず。そして今。その世代は中年となり、引きこもり、ニート数も最大。失職も多く結婚どころか付き合う事さえも出来ない。しかし、その現実は表には出ない。ニート等のデータは30歳まで(ベビーブーム後の世代)。それはなぜか。急激に世代の絶対数が減るので、何かしら対策を考えなければならない人達にとって、達成見込みが簡単だからだ。これは自殺者統計と同じ手法。KPI達成の為にはなるべく数字が見えた方がいい。ここに光を当てるジャーナリストもいない(そもそも日本にまともなジャーナリストはほぼいないが)。金=権力であり、それを得る為には日本を動かしている人達に逆らう必要はないからだ。つまり、自分のブランド価値を上げつつ(ジャーナリストという、ね)、コンスタントに仕事を得るのに最適なのは若者、女性に目を向けた方がいい、という事になる。

 

さて、ここまで書いてきていくつかのワードを元に登場人物をカテゴライズしてみよう。政治家。ジャーナリスト。権力者。大衆。官僚等。誰もが少子高齢化社会の到来をわかっていながら誰も手を付けなかった。見ないふりをしてきた。それはなぜだろうか。答えは簡単。自分の得にならないからだ。社会的に地位の貧しい人間ほど、ナショナリズムにかられるのは万国共通。普通の人達は自分の家族、仲間、そして自分。それが(それのみ)が優先順位であり、国家の事など考えていないのだ。それが当たり前の人間であり、特に人の上に立つような人になるほど、そういった非情、無感情性(サイコパス的特性)を仕事に活かす事ができ、企業役員、政治家等で成功が出来るのだ。そういった人材については誰もが集団生活の学生時代に見ていたはずなのに、なぜか大人になると政治家=清廉潔白、日本の事をしっかり考えてくれる人、と願望=現実になってしまう認知バイアスが笑える所だ。

そんな事は無い、日本の事も考えている人達が官僚政治家にもいる、と反論したくなる人もいるだろう。一つ例をあげる。アルバイトでも社員の8割の勤務時間で社会保険の支払いが義務化された。これによって財源が厳しい国保が社保によって企業に払わせる事が出来る、という懐事情は誰もがわかる事。人によってはアルバイトにも社員と同様の保険が、と喜ぶ人もいるかもしれない。しかし多くの企業は社保を払いたくないから今まで週五フルタイムで働いていたバイトの勤務時間を減らして、バイト数を増やそうとするのが当たり前の経済活動だ。社保加入に転んでも国にとってプラス。バイト数を増やす方向に行くとそれで求人倍率が上がるのでアベノミクス的にもOK。しかし、それだけだと非正規雇用者の増加、というデータも残ってしまう。正社員の有効求人倍率も増やしたい。で、地域限定社員という、企業からすればバイトに社保を払うのであれば責任も押し付けたい。しかし通常の社員の権限(出世コース等)は与えたくない、というアルバイト待遇だけど責任は社員という、見事に週五のアルバイトが必須だった企業にとって楽なシステムが出来上がった。さて、これらによって一番弊害を受けるのは誰だろうか。そう、一番立場の低い労働者だ。こんな政策を平気で出来るのが今の日本だ。少子高齢化対策など本気でやるわけがないし、やる必要もない。作っている人達は高みの見物なのだから。アベノミクスで儲けた一部の大企業と関連中小企業、そしてその他との差と同じようなものだ。社会もそうした特権階級の為に存在するのだから。

 

そうした見えざる手の上で踊らされている現実に大衆が気付く事がまず第一なのだ。なぜなら大衆には唯一最大の武器があるからだ。それは選挙。特権階級も特権企業も結局は人国の9%以内の人達。つまり日本の有権者達が結束すれば勝てる層でもあるのだ。もちろん、既得権益層はそんな事はわかっているので全力で阻止をしようとしている。マスメディアを使った扇動実験を繰り返している。なにせ戦中に大衆を誘導したノウハウがある。B級戦犯C級戦犯は罰を受けずにそのまま残っているのだから。

 

そしてのその洗脳は有効に動いている。一番怖いのは本来家族を持って社会性に目覚める団塊ジュニア世代が団結する事だから。増える老人はまったく怖くない。なぜなら老人は多くは自分の命にしか興味が無い生き物だからだ。今回舛添氏の雰囲気辞職に社会的ヒエラルキーの高く無い中年達の多くは「当たり前だ!」と叫んでいた。たかが数百万の違法でもない私的流用で50億もの選挙費用がかかる、という非論理性を解決せずに、だ。もちろん、上層の中年の人達はこの騒動は「なにこれ」と見ていたが、絶対数が少ない。なにせ上層だから。つまり、もう数で団結したら怖い中年層は怖くないのだ。それがここ10年以上の実験でしっかりわかったので、次は若者層の取り込みなのだ。ただ、彼らは絶対数が少ないので選挙云々的な思想的コントロールではない。現在の既得権益層が儲かる為のコマとして、より自由を与えてきたのだ。

 

これが日本社会の実態。保育園が云々とか女性が働き安い環境とか。そんな個別の事由の問題ではないのだ。ではどうしたらいいのか。大衆が賢くなるにはジャーナリズムが不可欠。まずは第二次世界大戦をしっかり反省して、新聞、テレビ、雑誌等の資本関係を禁止し、独立した機関として牽制しあうようにしなければならない。本来これは戦後すぐにやるべきだった。なぜそれが出来ないのか。先進国では当たり前の事だが、それをする事は国の為になってしまう。そんな事を既得権益層、権力者(政治家)達は望んでいないから変えないのだ。自分たちの支配力を変える必要がなぜあろうか。自分達が楽に利益を出せる事を下々の者の為になぜ放棄しなければならないのか。まず無理だろう。

一流企業の人達は適齢期にしっかり結婚出来ている。子供も作り、裕福な生活を送っている。それは既得権益層も同じだ。英語を話す小学校や、自由な校風の私立の小学校ででのびのび育てている。少子高齢化など自分たちに関係ないのだ。だから対策もしない。保育園設立反対派がいい例だ。周辺の多くは戸建てやマンション(分譲)の人達。彼らレベルでさえ、社会の問題と自分の利益を天秤にかけた時、自分達の利益を優先するのだから。そこに論理性などはない。

 

日本が少子化を本気で止めたいのであれば。本来は政策などは簡単なのだ。フランス等の成功事例があるのだから。しかしそれらを導入させないように大衆にはしっかりバイアスが仕込まれていて議論になってもすぐ立ち消える。はっきりいって、クーデターをおこして、マスメディア資本改革をして、現在コメンテーター、ジャーナリストの肩書でテレビに出ている人達を全員戦後第二次戦犯として投獄するぐらいの変革をしないと少子化は止まらない。しかしそんな事は現実的に無理。

 

結局、少子化は止まらないのであった。