底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

フランスのトラック突っ込み事件での各国のテロ対策発言について

80人以上が亡くなったフランスの最悪の事件。その後、各国がテロへの対策を強化する、的な発言をしていたのでそれにかなり違和感をもった。

犯人は直前まで宗教色もなく、金も無くなり、妻にも離婚されて酒におぼれて自暴自棄になっていた、との話がある中、それを「テロ」と言ってしまったら日本でおきた秋葉原殺傷事件も同じ「テロ」という事になる。そして、各国がテロ対策をする、という事は。それは物凄く簡単な事。

なるべく貧富の差を無くして、人種、宗教、地域での差別を無くす。これが本当のテロ対策。というか、これしかない。では各国の「テロ対策強化」とはこの事を言っているのだろうか。そうではない。単純に警備強化の事を言っているだけだ。それはテロ対策とは言わない。「テロに対して、警備を強化する」が正しい。つまり、どの国もテロ対策をする気はない、既得権益層はその権利を手放す気もないし、格差を利用して貧困層を作る事になろうとも稼ぐ事は止めない、という事だ。

だからテロを起こそうとする人が生まれる。そんな社会を憎む個人。組織。はじき出されてしまった人々からすれば当然の怒りとも言える。

 

人間とは文化宗教、地域が違えど、歴史的に見ても他の人間を下にする、ヒエラルキーを作る事によって社会を形成してきた。現代は人間が作りし最も完璧な人工物、MONKEYによって貧富の格差はピラミッド型とは言えない程の圧倒的な差を創りだしてしまった。これは人間の進化なのだろうか。それとも退化なのだろうか。どちらにしても、最下層の人々だって人間だ。考え、行動が出来る。テロという形でしかそういった社会には反抗する事が出来ないし、それしか有効な手段はないだろう。国と国が戦争をしたのは様々なリソースを奪いあう為。現代は交易によって奪う必要が無い。なので戦争をするのは効率が悪いから通常の国であればする必要がない。現代の戦争は最下層の人々が自分達を見て見ぬ振りをしている社会に対しての報復としての戦争なのではないだろうか。何かを奪う、という事ではない。奪われ続けた人々の逆襲とも言える。

 

テロ対策。それは人類が次のグローバル社会にむけて、新しい社会を形成しなければならない、いわば進化しなければならない究極の課題なのだ。そしてその事については世界のリーダーと呼ばれるような非政治の世界の人々は気付いており、警鐘を鳴らしているが、政治=経済界である今の世ではなかなか難しい。

自分たちには関係ないと思っている庶民こそ、社会の構成員として真剣に考えないとならない重要な問題だ。テロ対策という問題は。