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底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

NHKのバリバラが障害者✕感動という単純図式化に疑問を投げかけた件

まず、NTVの24時間テレビが障害者に何かを頑張らせる企画ばかりになったのはそれを視聴者が求めているからだ。社会に広く受け入れられているから、スポンサーも付く。つまり、日本社会が差別社会であり、同局は儲ける為にそれに応じているだけでもある。そんな中、近年ネットでこの番組を批判する声が増えてきた。理由は2つあるように思える。一つは、障害者で感動を煽る、感動ポルノに対する批判。そしてもう一つはチャリティーと称して出演者が多額のギャラを得ている件。今回は後者は置いておいて、感動ポルノに対して考えてみたい。

 

バリバラは障害者の為の情報バラエティーとしてNHKが2012年にスタート。最近は生きづらさを抱えているマイノリティーも抱え込んで多様性社会を目指している。障害者という当事者が24時間テレビの感動ポルノを批判する事はある意味当たり前であり、やっと公共の電波でそいう事が言えるようになったのは大変素晴らしい事である。ただ、この問題を社会の構成員として自らが当事者として考えている人が多いか、というと疑問が残る。バリバラは障害者自身が扱われる当事者だからこそ、その点に置いて感動ポルノ、と投げかけた。では健常者(何をもって健常とするかは難しいが)は何に対しての当事者であるだろうか。それは24時間テレビのような内容の番組を許すだけではなく、支持するような社会を作ってしまっている、差別社会を作っている当事者である、という事。直後のネット反応を見るとNTVの番組作り不満をただぶつけるような内容が多かった。それは対象として扱われる障害者、バリバラ内ではいい。それに便乗して健常者が自らの不満をぶつけるのは筋が違う。

 

24時間テレビは見ない。なぜなら感動ポルノだから。社会構成員の当時者としてその意味をしっかり理解をしていれば、人間を差別しない多様性の社会を目指すべく筋が通った思想を持っているのだろうか。

後進国の部族の人を東京に招待してびっくりするような番組を面白がっていないだろうか。

LGBTをファッションではなく、本当に受け入れらているだろうか。オネエタレントをゲテモノ的に楽しんでいないだろうか。

ファッションで刺青をしている人をそれだけでDQNと決めつけて見下していないだろうか。

本来は存在しないおバカタレントキャラの人達を本当にバカだと思っていないだろうか。

CMや情報番組で「忙しいママに味方」等紹介や家族が座っている場に母親だけが料理を運んでくるシーンに違和感を感じているだろうか。

逆もある。

東大生、女子高生社長、若手起業家等の肩書だけでその人の人間性まで勝手に素晴らしいと価値付けしていないだろうか。

 

まだまだ沢山あるが、マジョリティー=正義である、という考えの下、少数派を差別する、逆に特別視する。多様性を認めて受け入れる社会。日本が先進国になろうとするのであれば、あらゆる差別に対してしっかり向き合うのが社会の構成員の役目だ。バリバアを見て感動ポルノが問題である、と気付いたのでれば、自らが無意識に差別している事がないか。それを正して多様性社会を目指すよう行動する事こそが、健常者がすべき事なのだ。そこに気付いて行動せずに単純にバリバラの内容だけ、障害者の感動ポルノの問題にだけ集約してNTVを批判するのは障害者を社会の一員として捉えていない、逆差別だ。もう一度言うが、局は大衆が求めている事に応じているだけだ。

 

完全に思想すべてを変える事はそう簡単ではない。それでも表向きは体裁を整えて多様性を求める態度、行動を取る事は出来るはずだ。せっかくの機会。単純に24時間テレビをネットで批判する事で問題が終わる事が無い事を願うばかり。