読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

ひっそりとやっているブログですが、それでも極たまに。

アフィリエイトもやっていない。読者を集めようともしていない。だから更新も気が向いた時だし、そもそも公開する必要もないのかもしれない。ただ、ほんの少しだけ、かろうじて生きている事を残しておきたい的な、自身の社会への認知欲求が完全に消えない為にも続けているような本匿名的ブロク。そんな道端の石のような本ブログにも極たまに酷いコメントが入る事がある。書き込む名前からして私を侮辱する名前にして、内容も単なる暴言、というものだ。

 

私がふしぎなのが、なぜそのような言葉を見ず知らずの他人に吐くことが出来るのか、という事だ。私は今ままでの人生で知人にも他人にも所謂そのような暴言を吐いた事がない。だから見ず知らずの他人同士でそのような事を言える、という神経というか、育ちというか、が良くわからない。

まだ、目の前の人(他人)が何かマナー違反や酷い行いをしていて、友人達と「何あの人、ふざけんなよ」とか「死ねばいいのに」と陰口を叩くならまだわかる。とはいえそんな言葉を当人に嘆かけるような事は出来ない。それは反発が怖いとか、言う勇気がないとかではない。単純に生きている人間に、目に見える「点」だけでその人の人間性を全否定するような暴言を吐く事を良しとするような人生を送っていないからだ。

 

まだ公人に対してならわかる。そこには信念や理念による暴言だけではなく、多分にやっかみや妬みが入っており、そういった人間はちょっと探せばリアルでも見つかるからだ。相対的にしか幸せの価値を見出せない人や、何かと勝負、ランキング、評価を基準にするような人に多い傾向がある。ただ、それが一般人に向かうとなると話は別だ。心の動因の多くを占める肝心の嫉みがないからだ。つまり、純粋に、普通に、ご飯を食べつように、「おはよう」を言うように、見ず知らずの他人に人間性を否定するような汚い暴言を吐ける、という事だ。人間なのでそういった人も絶対世の中に存在する。ただ、普通に生活していればそういった人達との接点は本来ない。それがSNS時代になって本来接する事がない人達に対してそのサイコパス性質を振りまくことが出来る世界になった。

 

私は大人なので「死ね」と言われて「じゃあ、死ぬ」とはならないが、それでもそんな言葉を他人から浴びせられるような人生では無かったし、ましてや匿名でIPアドレスでしかトラッキング出来ない他人に初めて言われて時はそれなりに衝撃だった。それにまだ慣れないし、慣れてはいけない、こういった行為は特殊であるという想いは持ち続けようとは思っている。ただ、これがもし精神的にまだ未成熟な人が浴びせられた場合、もしくはそういった匿名個人同士のやり取りを見てしまった場合どうだろうか。ポジティブな言葉として「カリスマ」があり、特別な人に使われていたが、それが多くの読者モデルにも使われるようになって、もはやカリスマは頂点の人に使われる言葉じゃなくなった。そしてその上の階級、「神」が生まれたが、これも一時のカリスマと同じような働きにその言葉の価値を落とした。それと同じように、見ず知らずの他人に対して平気で「クズ」「カス」「死ね」という言葉を見続けたら。本来は一種のサイコパス性質な人だけが他人に使えるような言葉だったのに、その言葉の重みが薄くなり、平気で使えるようになる人が増えてしまったら。受け取る側の気持ちに対する共感性が無くなり(それがサイコパス性質とも言えるが)、平気で他人を直接傷つけても何とも思わない、相手が生きている人間であって、自分と同じ生活をしているという想像もできない人達が増えていくのではないだろうか。もしくは、自分勝手な想像で相手の人間性を全否定して、自らが暴言を吐くことを正当化する、妄想型のサイコパス特性の部分を伸ばしていしまうような人達が増えていってしまうのだはないだろうか。

 

今だに海外の映画では子供(とはいっても大学生以下)が汚い言葉を使うと親が叱るというシーンがある。知り合いの外国人(大人)でも会話中につい汚い言葉(若者言葉的ノリ)を使ってしまった時に冗談っぽく謝られる事がある。汚い言葉を使うという事は少なからず人間性と直結しており、それは行動や思想にも影響をするという事が信じられているからだと思う。まっとうな大人は汚い言葉を使っちゃいけません。自身の表現でも注意されるわけだ。それを一般の他人に吐くなんて本来ありえない事なのだろう。

 

そんな風に日本社会も変わって来ているので、学校でSNSで言葉のいじめがあっても「いじめはなかった」「いじめだと思わなかった」となるのかもしれない。暴言を吐くを方は「マジ神」を連発するのと同じレベルで「カス」「クズ」と言えるのだ。しかし、受け取る、例えば中学生からすれば、まともな家庭に育っていればそんな言葉を人間から直接浴びせられる事などない。まだ自分のアイデンティティーが確立されていない中、そんな自己否定の言葉を浴びせられた場合、ショックは想像に難くない。しかし、そんな事を子供にまでも平気にさせてしまうようなネット社会にしてしまったのは我々大人の責任であり、社会の一員としてその責任は免れない。

 

一部のこういった暴言を平気で吐ける大人とは論理的、理論的に話し合ってもその根本が思想がまったく違う為に分かり合う事が出来ない事は既に経験済み。なので根っからこういう性質な人はとりあえず放っておいて、そういう人が荒らすネットに触れている人達の中で、つい出来心でもそういった言葉を匿名という無責任な立場で他人に浴びせるような行動を絶対にしない強い気持ちを持って欲しい。一度自身の倫理観の枷が外れると、人間とは弱い生き物で、際限が無くなってしまう。というよりも、見ず知らずの他人に匿名で「クズ」「カス」と一生言わないのが教養ある人間として当たり前であり、その経歴に傷を付けてしまうと、自己肯定作用でその行為に合わせて自分の倫理観を捻じ曲げる事になってしまう。

 

ま、綺麗事だけどね。