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底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

貧困はバカだから、なのか。

まず、バカの定義が難しい。「バカ」と「じゃない」とを比較すると。

学校の勉強が出来た人を「じゃない」とすると。

中卒だからと言って事業で成功出来ないわけじゃない。いやいや、事業で成功する特殊な人を例にとって話すのは統計学的におかしい、という話しにもなるが、そもそも事業で大成功する事の方が珍しく、会社とは倒産する方が多いわけなのだから、起業をする人=「じゃない」よりも成功の確立を考えると「バカ」に入るのか?それとも確立論的には成功が宝くじやFXよりも遥かに高いと考えれば「じゃない」に入るのか。

 

多様な意見を取り入れる視野の広い人間性を「じゃない」と考えるか。

確かに、低所得者ほど社会的視野が狭いばっかりに他人に暴言を吐き、人を見下げる傾向がある。これは他人の事を考える事が出来ない、つまり性格にサイコパス性がある事を示唆している。ただ、アメリカある機関の調査によると、歴代の成功者、現代においても社会的成功者にはこのサイコパス性を備えていた、いるともいう。つまり、心を痛めずに時に他人を切り捨てる力が社会的成功には必要とも言えるのだ。確かに、「

貧困なのはバカ」と言っている人は彼の価値観での「バカ」というクラスターを人達を切り捨てている。その彼は社会的にも経済的にも成功している。

 

では、貧困になってしまう「バカ」とはなんなのだろうか。そもそも貧困になる状態とはなんだろうか。

最近話題になっているシングルマザー貧困はどうだろうか。単純に彼女たちを「バカ」と言う事は出来ない。保育所が足りない問題、子持ちシングル女性の雇用を避ける企業の問題等色々外部要因もある。これを母親個人にフォーカスしてみると、シングルで成功しているマザーの場合、そもそも経済的に自立している状態での離婚があって、でない方は自立もしておらず、職歴も浅い(職能の無い)状態での離婚がある。では、後者が「バカ」にあたるのか。ここまでくると恋愛観、結婚感だけでなく、生き方の問題になってくる。それでは、その本人の生き方を決める部分はどこに成るのだろうか。それは家庭環境が一番大きい。この事はデータで証明されており、ざっくり言うと親の貧困が子供にも影響する、という部分だ。ハーバード大の学生の多くはアメリカの富裕層の子供達であるし、慶応大学生もお金持ちが多い。統計データなので、この「多い」というのがポイントであり、貧困層から抜け出した人達だっている。それは人間とい生物の可能性であり、それを全体に押しハメて「個人の努力次第」と語るのはあまりにも客観的じゃないし、理論的でも無い。

 

さて、そうなると貧困=バカ=個人の責任、とは簡単には言えないのだ。教養とは一長一短で身につくものではなく、海外に生まれて住んでいた日本人が自然にその国の言葉を喋るのと同じで、その語学力と同じで、生きていくだけで身についた教養と、その後の猛勉強で身につけた教養というのがある。裸一貫で経済的な大成功を収めた人も、子供の頃だったりに、何かの青天の霹靂的な出来事が外部からあって、それによってビジネスに目覚めている。それも所謂教養だ。

 

そうなると、「バカ」のカテゴリーになってしまった人達はどうしたらいいのだろうか。また、そんカテゴリーに入らない為には。具体的に株をやれ、とか企業しろ、という事ではない事がわかるだろう。まず、積み重なった教養による「バカ」の部分を変えないとならないわけだから、その教養自体をリセットしないとならない。パソコンを覚えてタイピングの職をゲット、という単なる労働者としての生き方を目標にするような発想の人になるか、プログラミングにまで手を広げて自らの単価をあげる、もしくは起業まで見据えるような人になるか、の境目がここにある。

 

そして、ここですべてを全否定するのだが、こういった事を考えて実行する事自体、教養であり、大人になるとその積み重なった人間性簡単に変える事が出来ない部分であり、そして貧困から抜け出せない部分でもある。

 

結論。貧困はバカなのではなく、多くは生き方そのものが反映されてしまう事態であり、本来そうならないように子供には等しくチャンスを与えるのが社会であり、学校の存在であるべきなのだ。

アメリカの一部のリーダー達はその事に気付いてまずは教育チャンスや人間の多様性に投資をしている。これは倫理観だけではなく、その事によって今の一部の特権階級が儲かる資本主義社会よりも、経済が更に発展し、結果的に自分たちも住みやすい社会になる、という広い視野に基づいた結論だ。最大幸福拡大への追求とも言える。

 

まあ、難しいね。