底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

人生やり直しって出来るかもしれない 2017年これから。

何もかも失って、最愛の人にも見捨てられ。自分自身が存在している事が嫌になって酒におぼれてアル中になって。そんな私が立ち直ろうと思ったきっかけは私を手痛くフッた元彼女の結婚&妊娠だった。約10年近く付き合ったが、別れて1年も経っていなかった。その時私が思ったのは

「私は完全の彼女の意識の中から存在が消えた。無になった。」

という事。その切替と前向な姿勢。それこそが彼女の良さであり、私が好きになった部分だった。そして私は長年の付き合いでそんな彼女のいい部分を潰していた事に気付いた。色々な挫折、失敗は私自身の人間性に問題がある。そう思ったのだ。人間性というのは教養である。つまり、体験、経験によって形成される。私は自分の過去を遡った。やはり幼少期からのトラウマというか、心の傷が影響している事に帰着する。では、そういった過去を塗り替えす経験をすれば教養も刷新されるのでは?というのが私の仮説だった。しかし、幼少の頃に戻って甘える人を探すのは単なる精神的な甘えん坊に戻るだけだし、そもそも幼少期まで戻ってしまったら成長するための選択肢を選ぶ人間性まで幼少になってしまう。そこで私は大学生ぐらいをターゲットにした。幸い、大学時代から住んでいる駅は変わっていない。その感覚を取り戻す事が出来るはずだ。

 

20歳から飲んでいて、アル中で浴びるほど飲んでいた酒をきっぱり止めた。もう2年になるだろうか。一滴も飲んでいない。私は酒を飲めない人は人生の半分を損している、と公言していた。しかし、今はそんな事は思っていない。体質的に酒を飲めない人だっていて、そうした人はしっかり楽しい生活だって送っている。私は断酒をしなければその価値観を知ることが出来なかった。

頑張ればおっさんでもそれなりの会社で役職に付けるほどの経歴と実績はあるのだが、あえて肉体労働のバイトをしてみた。今も続行だ。これは大学時代はバイトしていたからだ。今その立場になって再度自分の経験をなぞってみようというのが魂胆。

私は金で金を稼ぐ証券に興味もなければむしろ憎んでもいた。また、金に対しての執着も無かった。実際、サラリーマン現役時代には1000万円を親会社に投資していてその会社が倒産して、0円になった事もあったが、正直実感も無ければ金を失った、とう感覚もなかった。悔しくも無かった。今あの時の1000万円があったらなぁ、と思う事もあるが、まだ損失感は無い。この部分はまだ改善が必要だが、余裕があったら証券で稼ぐ事もやってみよう、と考えが変わってきたのは自分の中で大きい。

完全主義が少しだけ緩いだ。というのも、色々な完全主義、正義感がこじらせの問題の一つでもある、と気づく事が出来た。ずっと最前線を走っていたら気が付かなかったと思う。

他人への寛容さが出来た。底辺生活をすることで人間は自分も含めそんなに変わらない事に気付いた。

課題も多い。

大学時代、ほとんど勉強しなかったのだが、今も勉強がそこまではかどっていない。改善が必要。

他人の感情への共感能力が高まった事によって、善意や悲哀等を感じるだけでなく、自分に関係無い部分への悪意さえも感じる事が出来るようになってしまい、これは結構辛い。

 

底辺生活の始めは自分で思わぬ部分でイラつく事があって、「あ、これがプライドというものか」とびっくりした事もあった。例えば、電話の受答え研修をさせられてダメ出しを受けた時。(俺は100人を超える正社員達を教育してきたのに、24歳のお前にダメ出しを食らうのか?)みたいな。これが無駄なプライド。実際に上手くやろうとして緊張した自分はしっかり出来なかったわけだから。恥ずかしい自分、出来ない自分を隠す為に無駄なプライドというのは生まれ。また私は出来ない人へ寄り添った教育が過去に出来ていなかったなぁ、という事も知れた。そうした無駄な自分潰しと過去の自分の反省を繰り返して、人生で通った教養を刷新していく。

 

年齢という壁はあるけど、そこは今更仕方ない。ただ人間性を変えていく。その為に人生をやり直すということは意外と出来るかもしれない、と今は思っている。