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底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

社会のせい、政治のせい、って言わないでね、という風潮

単なる日記

ネットで良く見かける、この自己責任論者。果たして本当にそう言い切れるだろうか。

 

先のエントリーで今の税金搾取システムがせっかく立ち上がろうとする低所得者が這い上がる事を限りなく制限するものである事を説明した。これを作ったのは政治家であり、原案作成、システム設計は官僚だ。その人達は社会が生んだものである。そして問題は社会を形成する庶民がそうした事に対してどこまで責任をもって「よりよき社会を作る為の新税金システムだ」と自信を持って言えるか、という事。つまり、多くの人は自分にとって関係無い事に対して

・見ない、見ようともしない、考えない

のが当たり前になっており、それこそが「社会のせい」という主張の根底だと思う。これは第二次大戦時の日本社会も同じであり、本土空爆を受けるまでは戦争は遠い太平洋で起きている、自分に関係無いぐらいに思っている日本人が多かった、というのと似ている現象だ。最低所得者の事など自分に関係ないから考えようともしない。為政者達はそうした日本社会を知っているから庶民が気付かない所から細かく税金、補修費などで金を集める。

 

身近な例を上げてみよう。

 

表:ペット(犬)のトリミングを発展させて飼い主とペアのようにする事が流行っています(マスメディア)→その時々で流行りの犬(血統証)がブーム→購入者は色々な服を着せて散歩→周囲「かわいい~!」→飼い主満足

裏:ペットの殺処分率はG7の中で日本は突出している現状

エクスキューズ例:ペットを捨てる人が悪い。私は家族同様だからそんな事はしない

本質:流行りの血統の犬に群がる事がビジネスの拡大に手をかして殺処分を助長させている。自分が殺処分に手を貸している側である意識が無い。

 

表:生活保護不正受給者のニュース(マスメディア)→ネットで生活保護者を叩く→金があっても給食費未払い者がいるニュース(マスメディア)→家庭で話題に→給食費を払わないでいい生活保護者も混合されて学校で差別対象→生活保護を受けるべき人も受けづらい状況→自治体も限られた予算の中、申請者を見下してもいい、という風潮が生まれる(後押しするネット世論

裏:親を選ぶ事の出来ない子供の貧困層の拡大が止まらない。

エクスキューズ例:在日などが特権を得ている。不正受給者が多いのも事実だ。働けるのに働かないのが悪い。

本質:受け皿の狭さを作っている社会システム(年齢制限等)の問題と貧困問題、子供の貧困問題等が混合してしまっている。逆に言えば真剣に問題を自分の事として考えていない。

 

自分の事として社会を考える事をしない、考えない人に結構見受けられる共通の考え方として、人間社会である限り、必ずズルをする人、団体、会社があるという現実をなぜか知ってるはずなのに業務システムのバグのようにそれらを突いて自分を正当化するきらいがある、という事。自分も含めほぼグレーな世界なのに、自らの主張を正論とする時はなぜかゼロイチ発想で語ろうとする。そしてそれは白黒の場合だけに使われ、相手を責める時にのみ使われたりもする。

 

先の例がすべてマスメディア発信である事に気付いたと思う。マスメディアだけが悪いわけではなくメディアとは社会の鏡である。社会が欲しいと思うモノを提供しているだけで、そこにクライアントが付く。それが社会というシステムだ。

 

「社会のせい、政治のせい」

 

その重みを社会の構成員としてどこまで把握して、勉強しているか。そこまで求めないでも、わからない事、知らない事に関してイタズラにメディア情報、著名なコメンテーターの言葉、見知らぬ他人のブログ内容だけを信じて、自ら考える事無くただ弱者を責める、そういう行動を止めるだけでもかなり日本社会は変わる事だろう。

 

ただ、これも理想論であって、現実はそうではないのでせめて自分は加担しないように心がけたいと思う。