底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

ニュースしか会話相手がいない中年達

友達も彼女いない、もしくは話し相手のいない人達がヤフー等のニュースのコメント欄で批判的な意見を書く、って有吉弘行氏がラジオで言っていたそうです。あれだけ芸能界のトップにいて通常のサラリーマンでは達成出来ない年収を稼ぐ人間がそこまで社会の事に精通しているのは驚きです。むしろ一流企業と言われるPR部門、マーケティング部門の人達でもそんな事を知らない、理解出来ない人達、結構知っています。

 

ただ、「ニュース」しか会話相手がない人達と、結婚していて子供がいてもツイッター

・今から幕張!

・今週末は◯◯イベント!

とだけ書く一般人の多さ。またインスタ等にも上げる為の写真をどこでもいつでもせっせと撮り貯める人達の多さたるや。

すべては認知欲求から来る行動であって、そこの内容に上下を決める必要は無くて。ニュースに批判的に絡む人と。

USJに皆で行ってきました!とインスタで上げる人。

どちらも承認欲求、認知欲求に大差はありません。日本のSNS利用率は世界トップクラスであり、他人に認められる事、知ってもらう事をそれが仕事の芸能人以外の一般人でも強く持っている国民である、という事。逆に言えば個人が自信を持てない社会、社会が個人を否定する社会とも言えます。

面白い例として「マツコ有吉の怒り新党」で有吉が言っていた事。

日本の銭湯で

・入れ墨のチェックはめちゃくちゃ厳しい→社会による個人の抹殺

・更衣室等でスマホ操作は禁止事項のみ→盗撮による個人の実害の大きさは入れ墨の比ではない。社会の個人の軽視。

そうした日本人の特性を知った上で庶民を操作して自らの価値を上げようとするメディアで活躍するジャーナリスト、起業家等も日本では非常に多い。ジャーナリズムが無い日本、つまりスポンサーの意向重視のマスメディアを主戦場にするジャーナリストはジャーナリストではなく、アイドルと同じく芸能人(肩書、ジャーナリスト)と同じ。

それでもニュースしか会話相手がいない人はそんな人達を自らの意見の代弁者としてリーダー視する事で自らの承認欲求を満たす。

 

なんか寂しいね。日本人。日本社会。

マツコやりゅうちぇるみたいのがキワモノとしてテレビに出るのではなくて、普通に日常に居る風景になるといいのにね。入れ墨をしている人、外国人が側に居る事さえも普通じゃない人が多い閉鎖された国だからまだ先の話しか。