底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

いきなりステーキ を不味い、と書いたエントリーに何度も入る暴言コメントについて

イマイチわからんのですよ。食って人によって好みがある事は誰だって知っている事。

例えば、信者の多い「ラーメン二郎」。

臭くて不味い

という人だっている。その人に対して、二郎信者がわざわざ暴言を吐くような光景を見た事が無い。なぜならそれだけ嫌われる事も個性である、と信者達は知っているし、好きな人達が集うから人気のラーメン屋なのだから。

ちょっとラーメンだとわかりにくいか。では日常会話ではどうだろうか。

食べログで人気の◯◯っていう店、最高に美味かったよ」

「そう?私はあんまり好きじゃなかったなぁ。なんであんな高評価かわからない」

こういった会話こそがある意味食べ歩きをする人達の楽しみでもあるだろう。それぞぞれの評価を持ち合う、というコミュニケーション。これを

「味がわからないお前なんか◯◯」

的に言う人なんて見たことない。

 

自分の舌に絶対的な自信を持っている人なんてほぼいないから、芸能人格付けランキングみたいな番組が出来て、味だけで食材を当てる難しさ、というか多様性を示しているわけで。というか、食べログの評価とか含むネットの評価こそが多様性であって、どれだけ評価の絶対値が高かろうが、それを不味い、と思う人がいるのが当たり前であり、正常な事は人間社会で生きていれば当たり前の事。それをわざわざ自分が美味しい、と思うモノに共感しない人に暴言を吐くほどの行動をする人が本当にいるのだろうか?松屋すき家吉野家の牛丼を初めて食べたけど不味くて二度と入らない、というエントリーを書いた人にわざわざ悪口を書く人がいるかどうか、という事もミラーリングして思考してみた。

 

考えられる事は2つ。

まず、ラーメン二郎の例にあるように、店が大好きな信者という事は考えにくい。好きであればあるほで、賛否があるのがわかるというもの。そのクセ、それこそが信者を支えるのだから。であれば、そこまで信念があるわけでもなく、ただ検索ワードに打った時に予測で出てくる「不味い」で検索し、ひっかかったブログに読みもしないで悪口を打つパターン。これはネットでは一番考えられる。本人にとっては憂さ晴らしなのだろう。まあ、そういう人はどこにでもいる。

もう一つ考えられるのがネット評判対策の会社から委託されているアルバイトの人達。日々悪評を潰すべく、一件◯円で攻撃する。まあ、こんな弱小ブログにはこないと思うけど。

 

まあ、もう面倒だから見ないし答えないからいいのだけれど。まあ、人を見下す事で心がす~っとする事がある心理は理解出来ないわけじゃないしね。

もっと人格を鍛えていきたいなぁ、と思うわけです。

そんな簡単に行かないのが生きる事だったりするわけだけど。