底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

教師が生徒を殴る動画での世間の反応での違和感

私は教師であろうがなんであろうが、暴力で相手のいいなりにしようとするやり方は全く賛同できない。それを「教育」「指導」などと言い訳を付けてやるのはもってのほか。

気になったのは、あれだけ挑発されたら殴っても仕方がない、という雰囲気で発言する人が少なからずいた事だ。そういう人はプライベートで人を殴った事があるのだろうか。

私は総合格闘技を11年ほどやっていたが、子供の時から今までも人をプライベートで殴った事は無い。学生の時に喧嘩をした事はあったが、実は殴っても蹴ってもない。一方的に殴られる事もあったが。というのも、自分は昔から体が大きく、また力もあったことと、人を殺す術をずっと考えていた事で、もし自分が殴ったりしたらその時は相手を殺してしまうかもしれない、と小学生の頃から思っていたからだ。だから、どんなに挑発されようが殴った事はない。20代の時に酔っ払いに電車で絡まれた時、口論になったが結局電車内で仲良くなったり。ぶつかってくる酔っぱらいに暴言吐かれた時は払腰で体を浮かして、そっと怪我しないように着地させた事はあったが。だから、あの動画のように生徒をボコスカ殴る教師はどんな事情であろうとも、一旦教職は離れるべきだと思うのだ。大人同士でもありえない事を子供相手に行使出来る人は精神状態が普通だと思われないからだ。相手が悪くてカチンときたら何してもいい、というのでは強引は割り込みをされて怒って追いかける煽り運転と何ら変わらない。

 

問題はまず、この教師が暴力をふるった、その是非を問う事ではない。以上のように、人間が人間をプライベートで殴るという、常人ならありえない事をしてしまうまで追い込まれた精神状態である、という労働環境だ。この動画だけで彼は殴ったわけではなく、今までの蓄積があることは想像に難くない。そのフラストレーションを解消する事ができない仕事場が、一人の教師の暴発につながるのだ。生徒、親、教師内。強ストレス環境が生む負のエネルギーをどうしたらいいのか。それを考えないと今後も教師の不祥事(暴力、性犯罪等)は無くならない所か増える一方だろう。蓄積した負は発散しないと本人が壊れてしまうわけだから。

また、生徒側の教師を追い込むやり方にも目を向けないとならない。この動画の挑発までに、日常でじっくり精神的に追い込んでいたはずだ。こんな会社のパワハラのようなやり方をまだ未成年の生徒が今までは出来るわけがなかった。それが生徒側が出来るようになった、という事実。これはもちろん、大人がそういった社会を見せているからだ。SNSで見る、公人に対する罵詈雑言。特に未成年の芸能人に対する大人の誹謗中傷などは恐ろしいものがある。それらを見て育ったSNS世代の子供たちは、立場の違いを理解した上で自分達のフラストレーションを発散する術とそれをやっていい、と社会(大人)から学んでしまっているのだ。

 

この動画は以上の、「教師という現場がヤバイことになっている」「子供がヤバイことになっている」という現実に向き合うモノであり、それらは今の大人たちが蔑ろにしてきたツケ(負のエネルギー)が溜まっている場の象徴的な出来事だと思うのだ。

今東京では、子供よりも大人が率先して社会のルール、マナーを破るのが普通になっている。子供は当初しっかり守るのだが、親やコーチ等、大人が守らないので次第にそうなっていく。その過程をここ数年見てきた。私の子供の時は大人はそれらを守る存在で、子供は大人に隠れて破るモノで、見つかると怒られる、ということで社会規範を学んできたものだ。しかし、親やコーチが当然破るのであれば、道徳を教える教師が軽んじられるのは当たり前だ。破る方が個人的に得をするのは必然だからだ。それによって社会が回らなくなるとか知ったことではなく、自分達が得をすればいい、というのが今の東京の親達の教えらしい。もちろん、そうではない人もいるが、そういう人の子供は徐々にクラスから浮いた存在になってしまうだろう。

 

この動画を自分達には関係無い教育現場として自分達の勝手は正義感で論じるのではなく、自分達の振る舞いで今こういった教育現場を生んでしまった、と、当事者として考える事が我々大人の勤めなのだと思う。

 

と、結婚もしていなく子供もいない孤独なおっさんだから言えるんだろうけど。心に余裕があるから。