底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

ディスカウント(ゲスト、リスト)がクラブ文化を潰すのか?

最近、ツイにディスカウント反対、と言うDJを見るようになった。前後から考えるに、

・クラブ文化が日本では衰退の一途をたどっている

・昔は良かった

・最近はいいDJ(定義はわからんが)よりも、集客出来るDJが箱側からは重宝される、つまり、ディスカウントがある事で下手なDJもレジデントをはれる。それが更にクラブ文化を駄目にしている。

だから、ディスカウント反対。来たい人は正規値段でも来るので、そういった音楽好きと、しっかりしたDJがいて初めてクラブ文化の復活があるのだ。

という事だろうか。

私はこの意見には真っ向から反対する。

 

確かに、今のクラブはイエローやマニアックラブ全盛期のような感じではない。当時のクラブはアンダーグラウンドな感じで、非日常的な雰囲気の中、特別なおしゃれな人が多かった。今はアンダーグラウンドな感じはなくなり、おしゃれな人などほぼ皆無になった。しかし、やる事といったら、酒、踊る、ナンパ。それが大きく変わっているとは思えない。

確かに、海外のクラブではバー含め、隣になった人とはすぐ話す事は多々ある。だが、日本は昔からそんな雰囲気は無い。だから、クラブは受け入れる箱としての存在ではあるが、ナンパ師で無い限り人と知り合う場では当時もなかった。話す人は話す、は今も当時も変わらない。これはディスカウントや箱の問題ではなく、日本人の特性、社会性によるものだ。外国人のナンパ以外、男性とは話しない女性は昔からいた。

 

私のように頻繁にクラブに行く人間にとって、ディスカウント(ゲスト、リスト)は年間にするとかなり大きい。音箱では男女ともしっかり音楽を楽しんで踊っている人は多い。昔と違うのは高齢化が進んでいるというぐらいか。そして、可処分所得が減っている事も大きい。昔は若者が踊り、中年はソファーで座って若い子をはべらかして酒をおごってくれる人が多かった。年齢の高さ=所得の高さ、でもあったからだ。今は違う。中年でも若者と同じくらいの所得の人はざら。結婚もしていない人も多い。だから中年が踊り、体力の無い若者が椅子に座りっぱなし、という事もある。

 

日本社会が昔とは違っている。だから、どの昔のクラブの雰囲気を懐かしんでいるのかわからないが、昔に戻る事は無い。今の現実の客層、客の要望に対してDJが何をするか。そこが大事であって、ディスカウントのせいなどではない。

そもそも、発想が客を舐めている。下手なDJの時はフロアがさっと引くものだ。ベテランDJでも、客を引っ張るどころか、自己満足の選曲でつまらないプレイの人もいる。フロアの客の笑顔でこちらがわかるぐらいなのに、全然それを変えようとしない人もいる。

 

多くの日本人の特性の問題として、酒を飲むとはっちゃける、というのがある。それは=酒を飲まないとシャイ、人見知りのまま、ともいえる。私は断酒して数年経って手に入れたのは、常に本音、という事だ。酔う事が無いから、常に平常心。クラブに入った直後にいい曲が流れていればすぐ踊り出せる。しかし、女性と話すのは出来ない。ナンパと思われるからか、私の外見の問題か、ほぼ塩対応されるからだ。男性の方がむしろ話かけられる事は多いのだが。気持ちよくなりに行っているのに、なにも好きでも無い女性から嫌な対応される確率が高いのであれば話かけないのが吉、と思っている。しかし、そうした女性の多くは外国人男性の痴漢のごときスキンシップのナンパにはひっかかっているのが不思議でもある。ただ、これも日本社会の問題でもあり、白人の外国人=かっこいい、もしくは英語を喋りたい等の目的意識を持っている女性が昔からいたし、SNS世代(時代)というべきか、不特定多数の人と知り合う感覚が、自分が日常で会わない人と知り合う楽しみ(昔)から、自分と気があう人と「のみ」知り合う事に重きを置く人が増えているのもある。インスタ、ツイ等で感覚や趣味が合う人以外は面倒でしかなく、クラブに重きを置いていない人達からすれば、そのクラスター属性の人はどうでもいい、という事でもある。

 

昔を懐かしむDJが言うクラブ文化は、昔のテレビは良かった、的なテレビマンと似ている。娯楽が少ない時代だったのだ。だからテレビと同様、クラブに重きを置く(ソーシャル的に)人が普通だったから、そこで生まれるクラブ文化があった。しかし、今は時代が違う。人の時間は様々なものに割かれ、その対象物の価値は相対的に下がっているのだ。ドラマ「半沢直樹」はテレビが終わった、と言われた時の大ヒットドラマだったが、それでも同じ内容で今放送だったらあそこまでヒットはしなかっただろう。それだけ時代の流れは早い。

いいDJ。いい箱。定額。それによってクラブ文化が再構築されるなんて事はない。むしろ実質賃金がずっと減っている中、庶民が娯楽に割く時間が減る分、客が減り潰れる箱が増えるだけだ。であれば、DJがディスカウントを用意して客を呼ぶ。もしくはCONTACTのように箱側がディスカウントを用意する。参入母数を多くして、人を残していくのが娯楽ビジネスの基本なのだから。その後、いいプレイをしてファンをつければ、私のように「あのDJも参加するから、迷っていたけど行こうかな」となるのだ。これは落語と同じ。まずは寄席に来てもらい、そこで贔屓の落語家を見つけると、その人が参加する寄席を追うようになる。

 

正直、今やクラブしか居場所が無いのは孤独な中年ぐらいだ。そんな時代でのディスカウントという意味をもう一度考えてもらいたいものだ。