底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

身バレしまして。

リアルに私を知っている人で常に私を全否定する人がいて。つい、匿名で宣伝もしていないブログでも見知らぬ人が支持してくれる事もあるのに、と言ってしまったんですよね。もちろん相手は

「そんな人(てめぇに共感する人)いるわけねぇじゃん」

的な反応でしたが。断片情報で検索されてこのブログがバレてしまいました。

ここは社会的にも精神的にも底辺に落ちた(と勝手に自分が認定した)と思った私の再生の記録で、当初のエントリーは見直すのも嫌で、書きなぐりの心の恥部が書いてあるわけです。いわば弱み。私だって実社会では薄いですが心に鎧を着ていて。それでも全否定する人に鎧の中を見られるわけです。もう、確証バイアスのネタですよね。見下す為の実証が増えただけ。

 

そりゃ落ち込みました。そんな時、人生の大先輩方とお話する機会がありまして。私の事をクソミソに全否定する人がいるという事はそれなりにそういう事実があるのでは?なんて言ってしまったら・・・。全員が声を揃えて

「それは逃げ!自分の存在価値を他人にゆだねては駄目!」

とお叱りを受けました。私は、は!と気づいた、というか、薄々気づいていたんですよね。例えば、私を全否定するその人の私に言う事実、

中年で社会のヒエラルキーで底辺で、考え方が・・・等々、それらを全て逆の人であっても社会的倫理観等が私の求める人間像で無いし、決して幸せな家庭じゃ無い人もいる。逆に、私よりもむしろメディア的社会一般的基準では下と思われる人でもしっかり家庭を作っている人もいる。特殊例を出したらきりがないとはいえ、矛盾が生じるわけです。

貴方はこれこれの理由で、はい、全否定。

貴方はこれこれの理由で、はい、全肯定。

どちらも悪魔の証明なのです。なのに、リアルに他人に全否定される事=自分の価値、と考えてしまって自信を無くしてしまっていたんですね。いつの間に。

 

自分の価値は自分で決めて、自分で道を切り開く。それがサラリーマンじゃなくなった人間の心得なのかもですね。まあ、サラリーマンでもそういった事ができる人いますけど。

自分に対する自信のなさをつい、他(社会や他人)のせいにしてましたね。その身バレした人には先日会った時も

「いや~断酒中だから女性と会ってもその先に進む事がなかなか難しいね~」

なんて軽口叩いたら、

「アナタが相手にされないのはそれだけの問題じゃないから」

とまた全否定されて落ち込んでいて、なかなか立ち直れなかったのですが、そもそも他人に承認欲求を求める事自体が問題だったのですね。そんな事をしていたら絶対に完全に承認される事は無いわけですから。100%完璧な人間はいないわけですから。

 

面白いのは、既婚者(浮気していない)人は男女とも、こんな話は手前で一笑にふされるんですよね。他人との生活は我慢と忍耐、という。でも、未婚者(離婚含む)や、既婚者でも浮気症の人は他人に要素として完璧を求める傾向があって、減点方式で人を見るんですよね。前者は減点も加点も無く、そもそもそういう風に人を見ていない。私はこれを他人とセットになった時、総じてプラスの人達=既婚やパートナーがいる人、と思っていたのです。実はそれだけが真実ではなかったわけですよね。まさにパラダイムシフトでした。

 

そんなかんだで、この身バレも私にとっての試練なんでしょう、はい。人間性を全否定する人なんて世の中に腐る程いるわけだから。捨てる神あれば拾う神あり、ってよく出来た言葉ですよね。捨てる人間あれば拾う人間、じゃないんですよね。他人に心の生殺与奪を握らせない。

 

なんか少しだけ強くなった気がします。ちなみ、この私を全否定する人とは今も仲よくさせていただいてます。だって、私からすれば色々感謝しかないですから。