底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

沢尻エリカさんの麻薬事件で改めて思う事

以下敬省略。

日本ってなんでこんなに麻薬使用者に対して厳しいのかしら?という事。痴漢やパワハラ、セクハラや喫煙などの直接他人に害を及ぼす事に関してはOECD内で類を見ない程寛容なのに。麻薬使用は個人の問題なのに。最近で言えば環境セクハラで他人を不快にさせる行為にも寛容な人達が出てきているのに。

よく言われるのが「バレたらまわりに迷惑をかける」という話。それは2次被害。しかし、それを重視するなら先の直接他人に被害を与える行為はなぜ寛容なのか。理屈が通らない。

法律で決まっている、というのであれば今回の沢尻エリカさんは陰性だったので使用者である証拠はない。彼女の家に出入りしている本当の使用者をかばって(その人は常習者で有名な公人とか)いる、という想像さえ出来る。まあ、それはおいておいたとしても陰性なので所持の罪だけだ。であればそこまで法律的にも重罪ではない。それでも弾弓する人が多い。刑罰の重さ=罪の重さという固定観念の人であったとしたら、ここでも理屈が合わない。

 

そもそもピエール瀧にしても沢尻エリカにしても近年皆評価していたではないか。それが麻薬関係でいきなり削除という感覚。人間をゲームのキャラのように気に食わない部分があったら抹消するという感覚。そこまで今まで評価していた他人の人間性全部を否定するほどの問題なのだろうか。麻薬は。国によっては麻薬の販売は禁止だが使用に関しては刑罰化を止めた国すらある。まあ、極端な話なので今後議論が必要だとは思うが、日本ではこの議論にさえならない。麻薬=使用した人が悪、のような。

 

麻取の問題もある。有名人の使用者を何日も追っかけて逮捕。その捜査情報を逮捕後適宜流して実績とする。多分それで評価される組織体制なのだろう。麻薬使用や所持は個人の問題なので、麻取はまず麻薬販売者の摘発をする方に評価基準を置いて、使用者の逮捕の評価をぐっと下げればいいのだ。そもそも使用者が減れば販売者が減る、という机上の空論など現実には通じない。海外の麻薬系の映画を見ても、麻薬カルテルを壊滅させようとする麻取的な組織のはあっても、日本のように個人を逮捕する事にフォーカスするものは無い。個人を逮捕するのは現場の制服警官がメインだ。しかし、日本は専門組織が個人を逮捕する。これはどう考えてもおかしい。コストバランス的に考えても。

この使用者個人非難、バッシング及び社会からの抹消行為を平気で出来る社会になってしまうと(今なっているが)、個人を麻薬関係でハメれば簡単に抹消出来てしまうという事だ。以前ある女性芸能人が六本木で麻薬所持及び使用で逮捕された事が報道された。もちろん、その女性はいつものように芸能界から抹消された。しかし、その情報をリーク(販売した)とする外国人は名前も告げず、逮捕される事なくいなくなったのだ。そして実際その女性芸能人は麻薬を持っていなかったので釈放された。しかし一度イメージが悪くなると、というやつだ。

 

麻薬は販売する方が直接他人に迷惑をかける行為なわけだから、麻取はそちらを壊滅させる事にフォーカスすべきで、個人の逮捕は制服警官に任せればいいわけだ、本来。予算のかけかたと評価基準がおかしすぎるのは、簡単に評価しやすい世間インパクトを考えた評価基準を考えた上層部の問題だけでなく、むしろ上層部が麻薬組織とズブズブの関係なのでは?と勘ぐってしまうほど理屈が通っていない。

 

直接他人に迷惑をかける事を容認しない事。未だに数十年前の法律から改正されない事が多いこの国において、法律を基準とするのではなく、個人の社会への正義感としてまずはそこに基準を置くことで、麻薬犯罪は使用や所持よりも販売者の問題へとシフトし、また先の痴漢、セクハラパワハラ、タバコ等の問題もあおり運転と同様に、直接他人に迷惑をかける行為として比較出来るようになるのでは?と思うのだ。

とても簡単な基準なのだが・・・。