底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

自粛生活、いかがお過ごしでしょうか。人間、見えてます?

こちらは職場が閉鎖されて絶賛無収入、考えていた事業もアフターコロナの世界がどう変わるか不確定な中、ストップという絶望しかない状況です。政府が初めて国民に対応した466億かけた布マスク2枚、この対策の意義は「できるだけ素早く配布する為」だったはずなのですが、未だに届きません。既に民間が原価マスクの販売を初めて安く手に入る環境が整いつつあるんですけど。政府が言う「早急対応」ってなんなんだろう、って笑える毎日。

徐々に自殺や同居人への暴力、強盗の事件が増えてきましたね。これは人間が追い込まれて通常思考じゃなくなる事なのでそういった状況下の人に「金の問題だったら、」とか「そんな仕事を選んだ自己責任」というのは意味が無いです。

で、最近気になっているのが個々の庶民が他人が見えなくなっているのではないか、という事。これはこのブログでも何度も言ってきた事だったのですが、それが今回顕著になった気がします。例とあげると、国はざっくり飲食店を分類します。そこを本来各都道府県の首長は自分たちの地域特性を考えて更に細かく分類する必要があります。今それが出来ない法律を知事会は政府に訴えています。で、今議論になっているのは更に東京だったら区でも特性が違うのでは、という話。地域を統べる為政者はこうしてマクロの範囲を狭くしていく。じゃ、庶民としてはどうなのか。

そんな社会目線を全ての人が持つ必要はなく、気がつく隣人の苦難に寄り添えればいいわけです。個の他人への共感力。それがなんかオールジャパンじゃないけど集団の力というか、クラウドファンディングのせいなのか、目に見えるグループや店等を救おうという発想にはなってもその裏にいる働いている人間達への目線がとても冷ややかに感じるのです。そうした他人への冷酷さが失職、収入減少の自営業やフリーランスの人たち、私のような人間への「自己責任論」での切り捨てやコロナにかかった人、医療事業者への嫌がらせにつながっていると思うわけです。

 

これは以前から言っていた、「喫煙者が路地に入った途端に歩きタバコする」の発想と同じで条例で禁止されている理由が他人を害する権利が無くなったという事を理解していない=他人への配慮が出来なくなった人、というのと似ていて、家族と友達以外は人間として自然と認識しない能力が日本人は特化して進化(退化)したのでは、と思うのです。

 

そんな中でのアフターコロナの社会ってどうなるんでしょうか。そんな事を考えたりしてます。