底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

周庭さんが捕まった。民主主義を守れ!って日本人が言うか?

先のエントリーと連携して。

日本は確かに言論の自由はある。選挙権もある。しかし、自由に発言できている人がこのジャーナリズムの無い国でどれだけいるか。また、選挙率の低さ。これを民衆が平和ボケして放棄していると考えるは短略的だ。

マスクなぜするか?のエントリーのように、日本社会には既に社会に対して(他人に対して)善悪を個人で考える、という能力が失われてしまったのだ。この能力を失うように権力者、為政者達が持っていったのだ。一見自由に見えて本当の意味で自由じゃない。

なぜ日本ではジャーナリズムが無いのか。それは無料メディアであるテレビの力が強すぎて、ここに出演する人が世論を牛耳る構造が出来てしまったからだ。戦後まもなくは金が無いから仕方がない。しかし、この権力を減らす為にキー局をもっと増やして力を削ぐのが本来の政治。しかし、権力は集中させたまま。なんで今やどの局を付けても同じようなタレント、知識人ばかり=多様性が無いのだ。それはチャンスの無い社会と同じ。それを見続けている庶民はいつの間にか洗脳される。多様性が無い社会を見続けている中で多様性を認めない人間性が形成される。

選挙もそうだ。政治教育が無いと意味が無い事を考えると教育期間も考えれば団塊世代がリタイアする前、遅くとも1980年代頃から選挙権18歳への準備が必要だった。しかし、老人が多くなるまでじっと待つ。そして老人が最大&若年層が最小になった途端、世界標準に合わせる政府だ、と言わんばかりに選挙年齢を18歳に引き下げる。しかし、政治教育はしない。ダンスは必須なのに。ただ、それだけじゃ不十分。中には熱心な教師が政治教育をしてしまうかもしれない。なのでマスメディアで「子供に対して特定の政治教育は早すぎる」というクレームがあった的なニュースを当時バンバン流した。これがマスク効果。これによって「政治教育は駄目なんだな・・・」という同調圧力が生まれる。すべて権力者、為政者のコントロール通り。

 

なんでも自由だよ、あなたの選択よ。なんてフリをして実は答えが決まっている。その答えになるように世論調整されている。そしていつの間にか何も考えない社会が生まれた。これは第二次世界大戦時の日本社会とまったく同じ。ただ、大戦時は何も考えない庶民に対して、考える先駆者達がいた。なので憲兵言論統制が必要だった。この反省を戦後、為政者達は考えた。アメリカの子分である限り自分たちは儲かるし安全だが見た目上民主主義が必須。ジャーナリズムは戦中と同じだから無いし生まれないし潰せる。そんな中、東大紛争が起きる。やばい、高学歴だと気づかれる、と思っただろう。

ここでまた考え、東大=官僚への道として助成金含めて囲い込む事で政治的思想家が生まれる土壌を制圧。今やタレントへの近道としてのオマケも付けて、一見多様な道のように見えて実、集団の分断に成功している。これで高学歴の思想家は封じ込めた。

しかし、東大だけならいいが、そんな事をいちいち官僚やマスメディアがやっていてはきりがない。その実験として成功したのが学生団体「SEALDs」への一般中年達の攻撃だ。

同調圧力に慣れ、個が潰されて差別に慣れた世代。小泉内閣によって生まれた新派遣法による奴隷世代。彼らをネトウヨ化させ、現政権側に付かせて庶民で同士討ちさせるのが一番楽。そこでマスメディアと考えたのが「若い人達」という見せ方。若さは手に入らない。あんな思想(趣味でも宗教でもない)で集まる仲間もいない。そんな中年達を狙い撃ちする報道に出たのだ。これは香港デモの報道と比べるとわかりやすい。

・香港デモ・・・反対する若者達がデモ。政府側の暴行。周庭さんはピックアップしたが、基本デモ対政府。そしてなぜデモになるのか。そして経済は、と客観的に見えて民主主義視点だけで報道=中国政府が悪い、民主主義が弾圧されるという構造ありきで報道

・日本の安保デモ・・・なぜデモをするか、は描くがそれよりも「SEALDs」を描く。援護するラッパーやDJを描く。これはマスコミの常套手段で、今で言えば地方にお盆で帰る家族連れに対するインタビューと同じ。小池知事の「特別な夏」を放送した後に映像を流す。「対策をして、行動範囲に注意して・・・」。その後、「東京に帰れ!」的なニュースを流し、Go Toトラベルキャンペーンの東京除外を写し、沖縄の感染爆発のニュースを流す。何も自身で考えない癖が付いている人がこの一連を見たら中でのインタビューに応じた東京からの帰省、避暑地の家族を「こんな時期に勝手な家族だ!」と悪く見えてしまう。印象操作だ。数が少ない安保デモのニュースに入れ墨の入ったラッパーやDJプレイを写す必要があるだろうか。「かっこいい!参加しよう!」なんて少数よりも、反感を持つ方が大多数なのはバカでも想像できる。案の定、にわかネトウヨが生まれて彼らを叩いた。マスメディアの報道の大半は若者ら自体を追って安保の内容の方が少ない。見事だ。

 

これを民主主義というのだろうか。まるで特攻隊志願書にはしっかり拒否欄もあったから強制ではない、という言い分に似ている。これは無言の強制であったが、今はその強制が気づかれないように「無関心」「多=正義」での支配が続く。

 

マスクでの世論調査でその事に気がついてほしいのだが。それを知れば日本が民主主義ではない事に気がつくと思うのだが。