底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

サザンが何かネットで叩かれている件でシャルリ・エブド事件との共通項

所属事務所のアミューズが謝罪文を出した事で初めて内容を知った。その事でむしろネットで彼らを叩く投稿が増えた。桑田佳祐はむしろこういった事象が起こる事も想定して謝罪したのでは?一連の表現なのでは?と思ってしまうぐらいだ。というのも、桑田氏は、「表現」をしただけで、紫綬褒章の取り扱いも彼の意思での行為であり、何も法律に違反しているわけでもない。しかし、こういった行為に対してネットの反応を見ていると、「反日行為だ」という人が多い。私は何が反日なのかはよく基準がわからないのだが、その是非は置いておいて、ちょっとこれらの流れをフランス新聞社「シャルリ・エブド」の事件に当てはめるとまったく同じなのがわかる。

 

フランス:シャルリ・エブドイスラム風刺画

日本:桑田佳祐が年越しライブである表現

フランス:イスラム教徒、怒り

日本:特定層の人、怒り

フランス:(原因がイスラム関係かわかっていないが)テロで殺人

日本:ネットでサザンを「反日だ!」と叩く

フランス:言論、報道の自由を擁護すべき、と各国首脳の参列したデモ、シャルリ・エブドは新たに風刺画を発表

日本:事務所、謝罪文。それが更にネット炎上に燃料点火。反日行為許すまじ、というネトウヨのネット叩きが加速→今ココ

 

言論、表現の自由は社会的弱者の武器。ただ、シャルリ・エブドの表現力はイスラム国と比べて明らかに強く、どちらかと言えば社会的弱者はイスラム国側。サザンもその発言力は社会的底辺層が多いといわれるネトウヨと比べて断然上。ネトウヨの方が弱者であるので、サザンが「文句言うな!アーティストの表現やねん!」と開き直っていたらネトウヨの感情の逃げ場が無い。謝罪、という形をとった事で、ネトウヨッ子達のはけ口を作ってあげた、とも言える。ここが更に風刺画を発表して強く世界にアピールしたシャルリ・エブドとは違う所。これはサザンが言論の自由表現者ではなく、自らの表現を体現する芸能人である違いであって、そういった体現者が時代を表現する時、良くも悪くも、今の世論に切り込むわけで、非難を浴びる事も当たり前、というかそれが体現であり表現でもある。

 

そう考えると、やはり今回の件は謝罪も含めて一連の仕掛けなのでは、と私は思っている。そして、それは見事にハマり、主に日本の社会の底辺層にいる人達の心を掻き立てた。

 

そういえば、サザンと同じように、今や親子でコンサートに行くほどファンの息が長い、GLAYも去年、「百花繚乱」という曲でかなり今の日本を叩く表現をしていた。そして、サザンも31年ぶりに紅白に出演し、今回の騒動。

民主から自民になってから、社会的格差は広がり続け、呼応してネトウヨが増えた。安倍政権になってからはそういった底辺層をまとめるべく、思想管理(民族思想)をメディアを通じで巧妙にステマしてきた。そしてアベノミクストリクルダウン、リフレ政策で既得権益層が更に優遇され、民衆が厳しい世界になった。なのに、有権者はその事に気付かないし、変える気力もない。

 

一部の表現者達(アーティスト)は今の日本の現状に警鐘を鳴らしてくれているのではないか、と思う。反日、とはどういった事なのか。紫綬褒章を(多分これがマナーなのでは?敬意を払うって、こういう事なのでは?)と勝手に庶民が想像した事を守らないと反日なのだろうか。それとも、たった6分の1の有権者によって作られた政府が、東証一部企業のみ優遇する事は反日行為ではないのだろうか。消費税は目的税と言っておきながら、財務省で管理し、東北の復興税の手法と同じ、振替、付替えで他に予算を使う事は税金が徴収される庶民を裏切る反日行為ではないのだろうか。思想等の小事に左右されて、真の大事は見逃す。庶民は為政者達に騙され続けて利用され続けるだけでいいのだろうか。「食べるモノが欲しかった」という理由で20代の青年が老人宅を狙って強盗する時代に日本社会はなっているのだ。

 

そんな中、日本はジャーナリズムが存在しないので、マスメディア(テレビ、大手ネット含む)には思想的リーダー(ジャーナリスト)が存在しない。なので、親子を取り込む事に成功した人気のベテランアーティスト達が、その発言力をもって社会的意義を果たそうとるす行為は、その他アーティストに波及するムーブメントになれば、庶民側から社会を動かす力を持つ、と思うのだが・・・。

 

ま、今回の件で日本では無理な事がわかったわけだけど、期待せざる負えない。