底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

彷徨える中年はどこにいるのか。

ども。底辺くん。

無職引きこもりの私だが、人間観察と流行りのチェックのため、たまに都心に行く。もちろん、自転車で。

渋谷、新宿までは20分ほどなので一番出没する場所なのだが、天気予報は雨。久しぶりに電車に乗ってみる。

本日は話題の珈琲店、ブルーボトルの表参道店オープン日。私もコーヒーのドリップはかなり凝ってる方なので、行列の出来具合を見に行く事にした。偶然空いていれば味比べもしようと思った。

渋谷から徒歩で表参道へ向かう。途中、休日よくやっている青空マルシェ的な市場が青学の前のビルの敷地でやっている。何度か見たことがあるのだが、ほんと、全てがびっくりするほど高い。で、こうった出店的な集合体の店主達は基本20代~30代ぐらいの人達で構成されている。如何にも、若手で頑張ってます!的な。そんなバイアスに引っかかる人っているのかなぁ、と思ったが、金を持っている50代~60代はそういうのが好き。あと、30~40代の独身女性。野菜にはこだわってます、的なライフスタイル。そんな観察をしながら、目の前で裏付け観察をするわけだ。

そんないやらしい人の見方をしながらブルーボトルの店周辺。すでに歩道に別列で行列が出来ている。ガードマンが二人でサンドイッチで行列を挟み、インカムで連絡を取り合って、随時5人程を店の前まで連れて行く、行列分離方式。最高峰の20代のカップルに「ここで何分待ちますか?」と聞いてみたところ、男性が口を開けようと開いた矢先に女性の方が「大体、4,50分って言ってました」と応えてくれた。こういった瞬時の反応の早さはやはり女性の方が早い。男性は一回ワードを咀嚼する癖がついている人が多い。

わざわざコーヒーで並ぶつもりもないし、いつでも来れるのでそのまま原宿方面へ。Frying Tigerで雑貨を物色し、竹下通りを通ってスペイン発の雑貨の新店舗へ。そして明治通りを通って渋谷へ。

渋谷の宮下公園下ではワゴン車が止まっていてホームレス向けの炊き出しの準備をしていた。そういえば時間は16時。夜ご飯なのだろう。若い女性と中年男性が一人見えたが、後はホームレスっぽい人が10人程で折りたたみの机の上でじゃがいもを剥いたり、仕込みをしている。ワゴン車には「公園そ閉めるなんて、約束違反!」という垂れ幕がかかっている。どうやら、渋谷区は公園は火気厳禁なため、大量のプロパンガスで料理をする炊き出しを認めなかったらしい。だが、客観的にみて、公園下のスペースに大量のミニプロパンを設置して料理をしているので、場所は確保出来ているように見える。ホームレスを支援する側からすれば、自分達の善意の行為が如何なる事であっても妨げられるのは許せないのだろう。公共の場所の優先度はその時の為政者によって使われ具合が変わってくるもので、公園は渋谷がナイキ命名権を売った。それはその時選挙で選ばれた議員も関わっているわけで、民主主義社会では当然なのだ。公共の場所について一定の思想の持ち主が占有権を主張する事はさすがに我儘である。これは海外でも同じ。ただ、日本が海外と違う所は、一定の思想を支える私的スペースが必ずある事だ。例えば、教会や私設養護施設等。路上や公園での炊き出しが禁止の区域ではそういった団体がホームレスの炊き出し用に場所を提供している。東京中心部にも教会はあるし、神社もお寺、新興宗教団体の巨大な施設なんてわんさかある。創価学会施設なんてオススメだ。ホームレス支援団体は民主政治で決まった事を行政側に文句言うのではなく、受け入れるスペースを貸さない宗教団体の思想のあり方を責めるべきなのだ。それこそが一定の思想を持つ団体のやる事であり、社会全体の総意である行政を責めるのはお門違いだと思う。

なんて事を考えながらやる事も無いので帰宅しようとホームに向かう途中、レースクイーンのような格好をした女性がエスカレーター下でチラシを配っている。経験上、当然女性向けの化粧品系かと思った。たまたま、私の前に歩いている人が女性が多かったので、女性に配ろうとしている動作が見えたので確信。しかし、いざ前までくると私に渡そうとするではないか。一体なんだろう、と思って受け取って見る。するとなんと、一見男女の愛的なモノクロのおしゃれ風チラシなのだが、コンドームの宣伝用であり、中には見えないようにサンプル品まで入っているではないか。おいおい、ちょっと待ってちょっと待ってお姉さん!と8.6秒バズーカー的なツッコミを一人で心の中で入れてしまった。今の私には一番必要ないモノだろうが。帰宅後、なぜかネットでTENGAを調べる。

さて、今日も一人だったなぁ、と思い返す。若い時は表参道を歩くと必ず知り合いに出会ったものだ。最近は誰とも合わない。それは私が社会から隔絶しているから、知り合い自体が増えないからだ、と思っていた。そこでふっと気付いた。私の年齢ぐらいの人を男女ともほぼ見かけなかったのだ。初老の一人男性は見かけるが、中年一人の男性、女性ともほぼ皆無。長い間Facebook絶ちをしていたのですっかり忘れてしまっていたのだ。私ぐらいの年齢の男女は結婚して休日は家族で過ごしたり、シングルでも趣味に没頭したり。自由時間が少ないので、生活の充実を目指して積極的に休日を楽しんでいるのだ。私のように暇人で、学生のように街ブラをする暇など無いのだ。愕然とした。街に出て人が沢山いる場所にいようとも私は汚い孤独な中年に変わりは無かったのだ。

だが、ここでふっと思う。そんな事あるかい、と。結婚していない中年男女は沢山いるはずだ。一体、彼らはどこにいるのだろうか。

多分、もはや流行最先端の街というのはマスの集客力というのは失っていて、多くの人は個々の趣味嗜好に沿った場所に出没しているのだろうか。一定の目的を持って秋葉原に行ったり。いや、休日の秋葉原は確かにおっさんは多いが、若い女性も多い。しかし、中年女性がいない。

彷徨える中年達の居場所は今、何処なのだろうか。バブル世代以下の大量の中年は結婚していないとマーケティングターゲットからもはずれ、社会制度からも見放され、支援する団体も無い。しかし、大量にいるはずなのだ。

そんな、私と同じように孤独に震えている人達の事を思いながら今日も雨に憂鬱な一日を過ごすのだった。