底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

美輪明宏の黒蜥蜴を見てきたので感想でも。

公演としてはラストとなる、という事で巷で根強いファンがいる美輪明宏を一目見ようと思い行ってきた。

黒蜥蜴については何の事前情報無しに見に行った。知ってる事は美輪明宏が演じている、という事だけ。

会場は平日という事もあり、ご婦人が多いのだが、若い人もおり、男性もいる。美輪明宏は幅広い層にファンがいるビックコンテンツである事がわかる。会場ロビーには各業界関係者からの大量の花。ビッグネームからの花を写真に納めている人が結構いたが、まあ、そういう価値観もあるか。平日なのに以前、大会社の時の同僚(当時新卒)の女の子がいたのだが、目があっても軽くスルーされたのでこちらも無視する事とする。こういった時に卑屈になるのが私だ。彼女の服装、バッグ、靴を見る限り、未だに高給である事はわかる。

さて、肝心の作品だが、現代劇として見た場合、面白いとは言いがたい。演出も単調。派手な見せ場も無く、物語は淡々と続き、ラストも普通に終わる。ただ、作品として見た場合、「様式美」という言葉が見終わった後に浮かんだ。

冗長でありながらどこか甘美なセリフまわし。映画のように変わるセット。しかも、どのセットも豪華。美輪明宏のドレス。にも関わらず、全体に流れるそこはかとない退廃的なムード。世の中の善悪などではなく、自らが求める美、生き方、欲求という人間的な行動美。すべてが様式美が細かく完璧に設定されており、その世界観に酔うのだ。そう、三島由紀夫の「金閣寺」のような。彼の作品の甘美な部分を理解出来ない人にはこの作品は理解出来ないだろうし、単調だろうなぁ、と思って見ていたらやはり数人、寝ている人がいたり、隣のおばさんと娘はわからなくて何度も確認のやり取りしていた。(後で知ったのだが、やはり三島由紀夫が原作だった・・・)

美輪明宏という名だけでこれだけの人を集める事が出来るのはすごい、と思った。つまり、作品の面白さで人が集まっているわけではない、と私は思っている。というのも、私はこの黒蜥蜴の世界観を理解し、堪能出来る人々がもう日本社会では少ないという事を知っているから。それは社会が変わった事であり、日本人が失ったモノ。別にそれが悪いというわけではなく、代わりに資本的豊かさを手に入れた。文学、美術を嗜み、その作品の中から人間を感じ、自らの魂の尊厳を考える人は今の世の中では生き難いし、むしろほぼ生きていけない。ただ、自己実現欲求までたどり着くような、生活が安定し、なおかつ高収入、仕事も順調で忙しくないようなヒエラルキーの上層にはこういった世界観に惹かれる人は多いかもしれないが、大抵、美=セックスになってしまったり、退廃ではあるがそこに美がなかったり、財力と権力で下品になる事で反社会的快感を覚える人が多いのも事実。

 

そんな世の中でこういった世界観を現代でも訴え続けている美輪明宏。そして、それが終わる。確かに、先に述べた通り、今の日本でこの様式美を理解する人達は確実に減っている。そして、世の中のトレンド。マイケル・サンデル氏が訴えた哲学も社会としてのあり方であり、ピケティ氏の経済本も資本主義の金の流れを訴えたモノだった。つまり、先進国と言われる国は成熟しつつあり、格差を認めた全体幸福をどう追求するか、という流れが来ているのだ。こういった世界に個の魂の美、尊厳、生き様のようなモノは相反する、完全な個人主義。特に日本は全体、集団主義を重んじる傾向があり、それがネットによってより加速しているので更に美輪明宏の訴えている世界観を理解出来る人間が育つ環境が難しくなっていると思われる。もちろん、一部の優秀かつ資本力がある親の元に育った子供は個人の才能を伸ばして、日本の全体主義にハマらないよう、海外に行かせる事も出来るが、それはまた別の話になってしまう。

 

美輪明宏の黒蜥蜴の終了は一応、本人の加齢の為となっているが、私にすれば日本社会と日本人が変わった事の象徴である。もう後戻りは出来ない。