底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

嫉妬や妬みでの犯罪について

ども。底辺くん。

最近増えている無職、もしくは底辺職の20代~40代ぐらいまでの男性の無差別テロ的な弱者への暴力行為。まあ、ネットでもメディアでも極悪非道のように叩かれる。そして、犯罪者の多くは心理学用語でいう、自己愛憤怒による攻撃的行動である、と分析され、テレビ出演者からくそみそに叩かれる。確かに、犯罪を犯す人間と犯さない人間の間には大きな溝がある。しかし、こういった犯罪者の人間性を全否定するような傾向はいかがなものだろうか。多くの一般人は底辺で孤立した人間の過酷な状況をまったく理解せず、理解しようともしていないから、ここまで人間性を公共電波で悪く言う事が出来るのだ。犯罪予備軍の人達も一般の人達と土台は同じ感性の人間なのだ。

 

まず、人はなぜ結婚するのだろうか。子供が出来てしまったから、という事もあるが、大恋愛であったとしても、タイミングがあったりする。そのタイミングとはいつだろうか。自分で考えた適齢期(日本社会のバイアス)とタイミング(仕事が一段落、もしくはこれから頑張る、等)がマッチしたから結婚したのではないだろうか。絶対に目の前の人で無ければならない、という理由は特に見つからないはずだ。人間の優劣は人間性でも条件でも図る事が出来、絶対的価値で世界中で配偶者こそ自分にふさわしい、という事は証明する事は絶対に出来ないからだ。この事はどこかのお笑い芸人も同じ事を言っていて、だからこそ多くの女性と会う合コンをやるのだ、と自己の行動を正当化していた。

つまり、一般の人はある程度未来が見えた時、もしくは未来が見えない時。こういった時の支えとして配偶者を選ぶのだ。逆に、前者でも支えなどいらない富裕層に人で未婚の人もいる。では、後者で未婚の場合はどうだろうか。

私の周辺にいる絵に書いたような家庭を例にする。

Aさん。夫側が昇進して部下が出来た事を機に結婚。そして子供は次々と生まれ3人。その間に本人は部長まで昇進した。サラリーマンとしての辛さはまず妻で支えられ、その後子供によって奮起されるのだ。

Bさん。社内結婚だったが、お互い30代中盤で付き合って1ヶ月で結婚。多くの恋愛を経験してきた2人にとって、同じ部署同士、相手の人間性は知り尽くしており、付き合ったら年齢的に結婚という判断になったという。お互いしばらくパートナーがいなかった時期が長かった事もあり、もういいかな、という妥協ではなく、寄り添いの気持が働いたという。所謂、この人なら、というヤツだ。

Cさん。恋多き彼女は40代手前で自身の独立と伴に結婚。相手は外国人であり、彼の外見は今までの彼女のタイプとは真逆ではあるが、夫の国への日本企業の進出を手助けするコンサルティング業として活躍している。

 

どうだろうか。結婚とは様々な事を取り払って考えると、日本社会では一人で生きていく事が年齢と伴に厳しくなり、また、自分の能力もわかってきた所で、更に人生をブーストする儀式みたいなものだ。出来婚や、条件だけで結婚した人の離婚率が高いのはこういった人生のブーストを考えずに結婚しているからだ。

また、人生ブーストしない結婚もある。それは単なる一人だと寂しいから、この人意外いないから、レベルである事が多い。これこそ、その配偶者である必要はなく、お互いどこかで自分の価値を相対的に下に感じている事もある。

 

もちろん、これらは一例であって、100組みあれば100通りのパターンがある。ここで言いたいのは、一般人であって、未来が約束された富裕層で無ければ、通常一人で生きていく事は厳しい、という事だ。

 

なので、結婚適齢期と言われながら一人の人は通常、趣味や没頭するものを作って寂しさを紛らわす。それがアイドルであったり、アニメであったり、ネットであったりするわけだ。今はそれらが安価に溢れているため、余程の事が無ければ世間と繋がっている感を持てる。仲間とつながる事も重要。ホームレスだって独自コミュニティ内で暮らす事でお互いの無事を確認しあったり出来る。

では、孤立している人はどうだろうか。無職で社会から切り離され、何のために生きているかわからない人達。貧困にも慣れない立ち位置で宙ぶらりんの中、たった一人。この怖さがわかるだろうか。多分、経験しないとこの精神の追い込まれ具合はわからないと思う。配偶者、もしくは仲間がいるのが当たり前の人にとって、孤独から孤立に至った人間の辛さがわかるわけが無い。

そして、そういった人がまだ体がバリバリに動く年齢だった場合。いつも自分とだけ対峙しているため、自分以外=社会となっている人が社会を妬むのは何ら不思議ではない。結婚している人が、冗談で「◯◯さんちのご主人、いいわね~」と点で比較して自分の配偶者を責めるのと何ら変わらないのだ。一般人の場合は自らが同列と考えたコト、モノを比較して自らを優位に立たせようとする。もしくは努力する。年収合わせて300万ほどの人が日本の超富裕層の生活を見て本気で嫉妬する事が内容に、人に嫉妬は大体身の丈にあったコト、モノに執着する。

孤独で孤立の人はそれが無いのだ。常に自分しかいないから比較対象が社会になってしまうのだ(これは以前にも書かせていただいた事)。実際に犯罪行動を犯すというのは問題ではあるが、追い込まれる人間性は一般人と何ら変わりない、という事が理解出来ると思う。

 

さて、では私がなぜ無差別殺傷犯罪者と同じ境遇なのに犯罪を犯さないか。それは簡単。自己愛が欠如しているからだ。だから社会に対して憤怒など起きない。自分が愛される価値があると思っていないからストーカーにもならない。自殺しか考え付かないのだが、他人に迷惑をかける事になるので、それも出来ない。これは私をわかってほしい、という告白ではない。社会に対する犯罪を犯すような孤立した状態であっても、人間によって反射行動には何通りのパターンがある、という事をわかって欲しいのだ。ある人は社会への復讐を考え、行動を起こす。またある人は自殺する。またある人は考える事をやめ、屍のように漂って生きる。人間性によって同じ境遇でも様々なのだ。この事は重要で、今後増える事が予想される孤立した無職、底辺の青年、中年の犯罪に関する世間の認識を、犯罪を犯すようなクラスター=無職、底辺層の青年、中年、という風にしたくない。「いい年して平日なのにぷらぷらしている」と必要以上に孤立者が近所からWatchされる事になってしまい、自己卑下から益々孤立し、自己愛がある人はその見下された態度に憤怒を増す更に事になってしまう。

 

今日は底辺層も実は一般人と同じ感情を持った人間であり、だからこそ、何でも一人で解決し、立ち上がる事は余程優秀な人材では無いと出来ないという事。だから孤独と孤立が犯罪予備軍を追い詰めるのだが、その年代は社会から支援も注目も浴びないロスト・ジェネレーション世代だったり、貧困層が多いという事を理解してもらいたい。むしろ、ホームレスになった方が支援者も仲間も多くてこういった犯罪を犯さないのだ。