底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

マクドナルド380億円の赤字予想について

久しぶりに上から。

2015年12月期の営業損益が250億円の赤字になる見通しだと発表した。前年は67億円の赤字だった。仕入れ先だった中国の工場で期限切れの鶏肉を使っていたことが昨夏に発覚。年明けには異物混入が相次いで表面化し、売上高が大きく減っていることが原因だ。

朝日新聞デジタルにあった。これは大きな間違いで、業績推移を見れば歴然だが、前社長の原田泳幸氏の時代に推し進めた店舗のカフェ化路線で改装された店舗の席数確保の為の窮屈感、PC利用者の長居、他店舗の集約によって気軽に利用していた本来の顧客であるファミリー層が離れ始め、その後の高価格商品導入によって更に本来の客が離れた結果であって、鶏肉問題は念押しレベルの話なのである。こんな事実はHQから来た社長の調査からすれば一目瞭然なのだろうが、海外社長からすれば数年我慢すればいいわけで、自分が新提案をして責任を取らされるぐらいなら、HQの方針に従った方得策であることは当然の振る舞いなのだ。

では、原田泳幸氏はそんなに仕事が出来ない人なのだろうか。彼がマクドナルドで最初にやった事は藤田田氏がミラクル業績回復させたのと同じ手法だった。つまり、本来の客層である、低、中所得者層向けの100円マックの拡充だった。その後、不採算店舗を潰す事で大幅コストカットによる収益増。問題はこの後。売上を伸ばして収益を更に伸ばさなくてはならないのだ。しかし、原田氏程の人だ。カフェ化によるブランドイメージの向上と高価格商品の投入、100円マック商品の減少はプレゼンとしては売上増として理想的であるが、決してそのような結果にはならない事は周辺のブレインも含め重々承知のはずだ。しかし、プレゼンを通し、新しい戦略として予算を確保、店舗改装を推し進める。これはモノとして世の中に残るため、原田氏の功績として世間から見える。

ここでヘッドハンターが現実的に動く(多分、もっと前から動いているが)。そして、原田 泳幸氏は予想される業績悪化が顕在化する前に、別の会社に渡る。現在はベネッセの会長兼社長だ。給料(役員報酬)もUPした事だろう。

 

さて、原田 泳幸氏は仕事が出来ない人だろうか。私はそうは思わない。自らの会社で無く、組織人として生きる人間のとりまのゴールは雇われ社長がベストだ。役員報酬も申し分なく、退職金もある。しかも大会社であればその額たるや。起業して失敗するリスクなく、立場によって権力と金を手に入れる事が出来るのだ。自分のバリューを上げる為に所属する会社を利用し、ヘッドハンターが売りやすい商品になってから渡る事によって更に報酬を上げる。その後、以前の会社がどうなろうと知った事ではない。マクドナルドは給料を下げる事も決定した、という報道もあった。数百人の従業員がそれで困る事になっても、原田 泳幸氏は何も痛くないのだ。

これこそが理想の組織で活躍する人であり、出世する人。人が感じる善意、思いやり、正義などを超越した存在。自らの為だけに全てを利用出来る人間性。社会としての人間性の臨界点を越えた人こそが、こういった渡りを繰り返したり、表舞台に出続ける事が出来るのだ。

大した実績も無いのにテレビに出続け、なぜか有名大学の客員教授にもなっていたりする人も同じ部類の人達。ようは、社会で上にのし上がる為には社会をいいように利用する事のみしか道はなく、そこには倫理観や正義感などは必要ないのだ。

 

私が実際に知っている雇われ社長も大体同じような人達が多い。そういった立場の人達が実際はどのようにのし上がっていったか、を同じ社内で見ていたことが無いと理解出来る事ではないとも思う。本人が書いた自叙伝や自己啓発本の内容とは真逆の世界が現場では繰り広げられているのである。これがサラリーマン、組織人として究極に仕事が出来る人の例である。

 

マクドナルドの減収減益のニュースを見る度に、原田 泳幸氏の処世術の完璧さ、組織人としての凄み、人生の勝者の一つの形をあらためて実感するのである。