底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

また電気料金が値上がります

一応、表向きの理由は「火力発電は石油燃料の値下がりでコスト減になったのだが、貸太陽光発電等の再生可能エネルギーの買い取り経費がかさんだので」という事になっている。公共性の高い電力の値段は法律で値上げのやり方が決まっている。ただ、この値上げの仕組みが、経費増の場合でも値上げOKとなっているのはご存知の通り。まさにこの弊害が出たわけだ。

 

現在、多くの場所で電力の買い取りを中止している、という報道が出たばかり。全国的に強制的な値上げをする程の経費増のわけがない。もちろん、これは福島関係のコスト増に加え、自らの給料は一切下げない事に起因している。

 

また、仮に太陽光発電の買い取りが増を想定した場合。企業も個人もどうだろうか。それなりに設備投資を出来る企業、個人という事になる。つまり、小規模企業よりも、中、大企業。個人は戸建てが主流となる。つまり、一般的家庭でいえば、金持ちの、家計に対して影響のない数千円の削減と自然に貢献している、という自己満足を埋める為に、その他多くの庶民が家計に影響のある数千円を負担しなくてはならない、という構図なのだ。

 

こんな理不尽かつ不公平な法律を考えた電力会社と官僚、これを承認した自民党ってほんと凄いと思う。諸外国なら暴動が起こるレベル。日本人はこんなことがまかり通った社会でも我慢出来るというのがまた凄い。例えば、民主党がこの部分を世界基準というより、正常の会社会計に戻す、という事を訴えて選挙したとしても多分負けるだろう。なぜなら、日本人の多くは、正義がなされる事よりも、「表向きしゃんとしている」という事を重視する傾向があるからだ。なので、政策や人間性よりも肩書や表向きの振る舞い、言葉使い等を重視するので、民主は過去を忘れて貰えない限り(それ自体そんなに酷い事だとも思わないが)どんな政策を訴えてもダメなのだ。

 

もちろん、日本人がこういった性質なったのは社会を作っている為政者達がコントロールしやすいようにバイアスを加えているからに他ならない。インターネットが普及した所でやはりそれなりの社会経験がないとこのバイアスからの脱却は限界があり、単なる政権批判を繰り返して認知欲求を満たす存在になりかねない。

 

社会を変える事はかなり難しい。ただ、一番簡単な事は政治家を選ぶ事ができる権利はどの庶民にもある、という事だ。戦後の混乱期に私利私欲を満たし続けてきた既得権益者達の代表者である自民党を支持し続ける事をとりあえず拒否する事が本来一番簡単に世の中を変える事が出来るのだ。

 

なんて事を、この理不尽な電気料金値上げで考えてみた。